震災5 −原発と情報− 豆電球№118
福島原発の原子炉から漏洩する放射能に汚染された水、大気の放射性物質の濃度が上がったとか下がったというニュースで連日新聞の一面が埋め尽くされている。
周辺の土壌汚染、野菜や魚等から検出された放射能の濃度が許容値を超えたとして出荷が制限され、農家、漁民が打撃を受けているばかりか、人体に影響を及ぼすレベルではないとして安全宣言がされている魚や野菜についても、福島産と名前がつけば売れないという風評被害が広がっているという。
私は、原爆症認定訴訟の原告弁護団に参加し、原爆による放射線の人体影響、特に内部被爆の危険性等については法廷で国側との厳しい論争が行われたので、それらについて人並みの知識は持ち合わせているつもりであるが、その私から見ても、いささかこれまでの行きすぎた大騒ぎぶりには違和感を抱いている。
映画監督の宮崎駿氏は、この事態を嘆き、東京都で避難や買い占めが起きていることについて「僕はこの年齢ですから一歩も退くつもりはありません。乳児については配慮しなければなりませんが、僕と同じくらいの年齢の人が水を買うために並んでいる。もってのほかだと思います」と厳しく批判した(朝日)。同感である。
この点について、正しい情報がないから不安になるのだという意見もある。それならば正しい情報を得るために自ら努力すべきだ。
インターネットを検索すれば、現在の東京都の濃度レベルでの人体影響はないこと、魚等についても濃縮され人体に蓄積されるまでには相当の年月を要し、今出荷されているものを摂っても問題はないこと等は容易にわかることである。見出しが踊っている新聞であるが、注意して読めば、冷静な専門家の意見も掲載されている。
情報という点では、一時、政府やメディアが情報操作を行っているとか、政府が避難地域以外は安全であるとか水や農産物の安全性ばかりを言っているという批判があった。
しかし、何でもかんでも情報を伝えれば良いというものではないだろう。テレビは、死者の生々しい写真等は掲載しない。これは、遺族や家族の感情に対する配慮が主たる理由だと思うが、各テレビが足並みを揃えているから、ある意味で情報操作と言えば言えないこともないが、これに異論を唱える人は少ないだろう。
原発データついて言えば、私は生データはしっかりと全面的かつ迅速に公開する必要があるが、同時に、政府がパニック的事態が生まれないようにするため、或いは風評被害を避けるために、「市場に出回っている野菜や魚は安全です」「政府が規制した区域以外は、水も大気も大丈夫です」と安全性をしっかり説明することは当然であると考える。
炉心の崩壊という経験したことがない危機的事態が起きたのであるから、ある程度の混乱は避けられないが、だからこそ政府が動揺する世論に惑わされず、専門家集団の力を結集して確固とした判断と行動を取ること、国民はそれをある程度信頼して行動することが大事だ。その政府の判断が誤っていたら、事態が収束した後で徹底的にその責任を追及すれば良い。危機的事態の時に、あれこれ素人的判断でネガティブな情報ばかりを言いつのる傾向は、正しくないと思う。