フルムーン旅行顛末記3 プラトー市民病院救急外来の巻 豆電球No.94
フルムーン旅行顛末記3 プラトー市民病院救急外来の巻
レストランで夕食後、フィレンツェ郊外にある小都市、プラトー市のホテルに到着すると、パリのセンターからファックスが来ており、市民病院の休日深夜外来に行けとの指示。添乗員さんから「有り金を全部持ってください」と言われ、トランクの現金を全て持ってタクシーで病院についたのは10時半。待合室に行くと、まずは予診の窓口に行き、看護士のトリアージを受ける。トリアージでは、捻挫だろうということで下から二番目にランクされる。待合室の中には、深夜であるにもかかわらず大勢の人が待機しており、中国人の姿も目立つ。添乗員によれば、プラトーは繊維の町で中国人が多いらしい。
午前1時前、ようやくX線写真。その結果、足首の踵の骨の骨折であることが判明。診断書を見ると、compound fractionという文字がある。これを、私も添乗員も「複雑骨折」と訳したのだが、これが後々に影響を与え、イタリアの救急車に乗せられることにつながる。処方箋を渡され、病院前にある薬局で痛み止めと血栓を防止する注射器を購入すること、ブーツのようなサポーターのカタログのコピーを渡され介護用品店で購入すること、明日、再来院するように指示される。
さて支払いである。恐る恐る看護士に「支払いは幾らですか」と聞いたところ、「FREE」という。添乗員と私は、へたをすると二桁以上の支払いが要求されると身構えていたので、聞き間違いではないかと思って確認すると、「イタリアは公立病院の休日深夜外来は無料だ」という。そして、「日本では違うのか」と聞き返されてしまった。
そういえば、八月の総選挙では、日本の医療費の窓口負担が3割なんて国はOECD国では日本くらいだという点が争点になっていた。率直に言って、イタリアの病院のレントゲン検査が旧式であったり(一昔前のものであった)、外来待合室の天井の一部が剥がれ落ちていたりしているのを見て、「やっぱり日本の方が医療設備はいいな」と思っていたが、とんでもない思い上がりであった。「お金がないから病院にいけない」という心配をせずに医療を受けられる国に日本も仲間入りして欲しいと切実に痛感した。
薬局で痛み止めと注射器を購入してホテルに帰ると午前4時。へとへとであったが、付き合ってくれた添乗員さんに申し訳ない気持ちが大きかった。骨折という診断である以上
これ以上ツアーを続けることはできないし、周囲に迷惑をかけることになる。私たちは、ツアーからの離脱を決断し、添乗員にその旨伝えた。
翌日13日は、日曜日。ツアー一行はフィレンツェ観光、翌日はかつての海洋都市国家ベネツィアであるが、我々はホテルでの滞在と通院となった。
午前10時、旅行傷害保険会社から委嘱を受けた通訳のKさんが客室のドアをノックする。髭ずらの中年男性である(後に私と同世代、一年年下とわかるのだが)。「午前四時なら、まだ飲んでいたから、呼んでくれれば美容院に駆けつけたのに」等と言っている。おもしろそうな人だ。
先日の病院に出向くが、「指示したサポーターを購入して来なければ意味がない」という。イタリアは日曜日は安息日で休みである。仕方なく、そのままホテルに戻り、通訳のKさんと帰国に向けた打ち合わせ。
旅行者が旅先で怪我をした際に旅行傷害保険が派遣する医療通訳の仕事に長年携わってこられKさんは、我々を慰めようとしてか、いろんな経験談を聞かせてくれた。
Kさんは27年前からフィレンツェに住んでいること、フィレンツェに定住している日本人は三人しかいないこと、27年間の間、夜、ワインを飲まなかった日は三日しかしかないこと、医療通訳の仕事をして五人の葬式を出した、風呂場での転倒が多いこと、コロッセオで転んだのも気の毒だが、空港に降り立ち観光バスに乗るタラップでけがをしてそのまま空港から帰国した人もいること、病気になって一ヶ月イタリアに滞在し、傷害保険からの滞在費でしっかり見て回った学生の話等。不運をかこつ私たちにとって、Kさんの話は大いに慰めとなった。
翌日午後三時にKさんが来て介護用品店に向かう。プラトーの城壁の中の旧市街にある清潔そうな店である。そこで、指定されたギブス替わりのブーツを購入するとともに、車椅子も見せてもらう。ブーツを持って三度病院に行き、院内用の車いすに。平日の夕方は大変混雑しており、どこへ行けばよいのかKさんもわからない。
うろうろしていると、大きな体をした老人がなにやらしゃべりながら、妻の乗った病院専用の車椅子を引っ張ってどこかへ連れていこうとする。Kさんも、「このおじさん、どういう人なんでしょうね」と言い、妻も気持ち悪がるが、委細構わずどんどん引っ張っていく。連れて行ってくれたのは整形外科の処置室のようなところであった。そこで、ブーツを装着して貰い、血栓防止の注射の仕方を教えて貰う。その後、Kさんは、ドクターに、車いすが必要であること、ビジネスクラスで帰国する必要があること等を診断書に明記することを求める。手慣れたものだ。ドクターも快くこれに応じる。
その後、先ほどの介護用品店に戻って、車椅子を購入。約400ユーロ。まさかイタリアに来て車いすをお土産に買うとは。ツアー一行には、フェラガモやヴィトン等のブランド品を買い求めるために来た人もいたが、私たちが買ったのはイタリアブランドの車椅子。ホテルに戻り、Kさんは保険会社のサポートセンターに電話して帰国便の相談。フィンランド空港では車椅子の乗客は48時間前に届け出を出す必要があることが判明し、急遽、パリ経由のエールフランスで帰国することに。同時に、プラトーでは不便だからとということで、翌日の宿泊先はフィレンツェ市内のホテルにするよう手配していただいた。
怪我等をして人の助けを必要とする立場になって初めて、人の情け、人情というものがわかるというものだ。して、フィレンツェの一流ホテルでの体験談は次回に譲るが、助け合う大切な、情けというものを持っているのは、上流階級の人々ではなく、庶民であり、弱い立場の人々であるということを国を超えて痛感した。見ず知らずの日本人のために市民病院の中を歩き回り、処置室まで連れて行ってくれたおじさん、気持ち悪がって十分なお礼ができず申し訳ありませんでした。本当にありがとう。