経営の素人が社長さんたちを前に法律事務所の経営論を語る2 豆電球No.85
経営の素人が社長さんたちを前に法律事務所の経営論を語る2
私が経営論を考えるようになったもう一つの理由は、法曹人口の増大の中で新しい弁護士たちが次々と登録してくるようになったが、その受け皿が十分ではない、登録しても受け入れてくれる法律事務所がないという事態が生まれてきたことである。これまで、法曹養成は、司法研修所が一手に引き受けてきた。これは、これで統一修習の良さ(統一修習というのは、平たく言うと、裁判官、検察官、弁護士が「同じ釜の飯を食う」形で一体で修習を受けることである。相互の信頼関係の醸成に寄与し、司法の民主化にとってもいみがある重要な原則である)を含め、様々な長所があるのだが、他面では、後進の育成を最高裁に(もっと言えば、国家権力に)丸投げしてしまう意識、土壌を作り出したのではないか、と思う。私の見るところでは、新人弁護士を採用できる事務所、弁護士は相当数ある。しかし、正直に言えば、新人を採用することは様々な負担がつきまとう。一人で何ら問題なく事務所も回っているし、生活もできる。人を増やせば、面倒なことも起きるし、共同化すれば意思統一に時間を取られたり、嫌なこともある。何でわざわざ新人弁護士を採用しなければならないの、ということになってしまう。こういう、何というか、弁護士業界の中にある、進取の気風に欠けるというべきか、大きな視点を持たないというべきか良くわからないが、現状安住の姿勢が、天の邪鬼の私には我慢できないところがある。人権の擁護と社会正義の実現をめざす弁護士たちを育成すること、そのために新人弁護士を積極的に採用する条件を整備する必要があるのではないか。そのためには法律事務所を組織化していく必要があるのではないかと考えるようになった。
といった訳で、経営などというものに関心を持たなかった私が法律事務所の経営、組織論ということに頭を悩ませることになった次第である(同友会の例会の話をしようと思ったのに、横道にそれてしまいました)。
例会での報告は、「名古屋北法律事務所がめざすもの」と「法律家の現場から見た経営者たち」という二つの柱で行った。
前者は、事務所の経営理念を成文化した「名古屋北法律事務所ー理念と指針」について次のような骨子に沿って説明した。
【三つの原点】
事務所を開設したのは01年3月。立木前事務長と二人での出発である。
私たちが目指したのは、?「事務所を訪れた人が少しでも元気になってくれる事務所」であり、?「地域に根ざした、敷居の低い法律事務所」であった。二人には、「旧来の弁護士業界の現状安住の姿勢に対する強い疑問」も共有されていた。さらに、司法制度改革という大きな経営環境の変化の中で、?「新しい時代に対応する新しい法律事務所のあり方を探求する」という心意気もあった。
今でも、この三つの原点は大切にしている。
【事務所の理念と指針】
「理念と指針」については、いくつかのポイントに絞ってお話した。
【経営理念の五つの柱】
?法律事務所の「お客さん」をどう見るか。
これは、経営理念のイロハのイに当たる。ここを見失うと、法律家ではなく、法律屋になる。法律事務所を訪ねてこられる方々は、多かれ少なかれ、社会の矛盾のしわ寄せを受けた方々ばかりである。生活や経営の悩みを抱え、紛争に巻き込まれた憤り、不安、ストレスを抱えている方々である。中には、自殺を考えている方もいる。中には、犯罪を犯した人や無理な相談を持ち込む方もいる。しかし、悪いことをした人でも、よくよく調べてみると、貧困や抑圧、差別があったりする。私は、これまで刑事事件もそれなりにやってきたが、憎むべき犯罪行為を犯した人もいたが、行為は憎んでもその人自身を憎む、憎み切る、ということはできない。
私は、法律事務所というのは、こうした方々を「お客さん」にしている中小企業なんだ、ということを忘れてはいけない、と思っている。