若者に読んで欲しいサイバラガ語る「カネ」の話2 豆電球No.81
若者に読んで欲しいサイバラガ語る「カネ」の話2
サイバラは、貧乏について、たんにお金がないという経済的側面だけではなく、暴力、無知、人間性の荒廃、絶望につながることをとてもリアルに指摘している。
「あのね。『貧困』と『暴力』って仲良しなんだよ
貧しさは人からいろいろなものを奪う。人並みの暮らしとか、子供にちゃんと教育を受けさせる権利とか、お金が十分にないと諦めなければいけないことが次から次に山ほど、出てくる。それで大人たちの心の中には、やり場のない怒りみたいなものがどんどん溜まっていって、自分でもどうしようもなくなったその怒りの矛先は、どうしても弱いほうに、弱い方に向かってしまう」
「思春期の私に見えてきたのは、『将来』なんかじゃなくって、『行き止まり』だった」
「人は将来に希望が見えなくなると、自分のことをちゃんと大事にしてあげることさえできなくなってしまう、やぶれかぶれで刹那的な楽しさを追い求めるうち、モラルをなくしてしまう」
現代の日本においても、格差と貧困の広がり、貧困が次世代に連鎖し、希望格差とか結婚格差という言葉に象徴されるように、貧困が全人格的な影響を与えていることが指摘されている。サイバラが語る貧困は、決して昔話ではない。
しかし、サイバラは、貧乏に負けず自分の足でしっかり歩き出す。
サイバラは、東京の美大に行くことが夢になり、いよいよ受験というその日、父親が自殺する。博打で借財を作り、母親を殴りつけて金をはき出させ、サイバラの貯金まで使い込み、とうとう金策に詰まって死んでしまう。葬儀の日、借用書を持った人たちの対応に母は追われる。家の中はすっからかん。この土壇場でのお母さんの言葉が、サイバラの反転攻勢のきっかけになる。
「理恵子、このままじゃやっぱりみっともないから、あんたは大学に行きなさい」
こう言って、家中の金を集めて140万円を作り、100万円をサイバラに渡し、「これで大学に行きなさい」と言ってくれたのだ。
「貧しさの中でぼろぼろになっていく女の子たちを見ながら、私は、いつか自分もああなるんじゃないかって、ずっと怯えていた」といいうサイバラは、一大決心をして東京に出る。
「溺れた人は、たとえ泳げなくたって、必死で水をかくでしょう。」
「才能があろうがなかろうが、そんなことは関係なかった。自分は説帯に絵を描く人になって東京で食べていく。そうこころに決めた」
「たしかなものが何ひとつなくたって、歩き出さなきゃならない時がある。それがこの時だった」
ふるさとに負け犬として帰りたくない、自分の力で食べていく、そう決めたんだというのである。実に、毅然としていて、シンプルなのだ。