たまご 豆電球No.78
たまご
豆電球№77を書いてから4ヶ月もさぼってしまいました。
晩秋のトレッキングの記事が年が明けても掲載されているのはみっともないなと思いながら、梅が咲き、モクレンが咲き、とうとう桜まで咲いてしまいました。
派遣切り問題や水道工事談合追及住民訴訟など大変な事件に携わることになり、書く時間が取れなかったこと、英語にはまりこんでしまい読書に充てる時間が制約され新しい知的刺激を受けることが少なかったことが原因と分析しています。
また、ぼちぼち書き続けていきますので、お付き合い下さい。
昨春から読み始めた英語学習紙に、イスラエル最高の文学賞と言われるエルサレム賞を受賞した作家の村上春樹の授賞講演の全文が掲載された。
村上氏は、イスラエルによるガザ侵攻が続く中で授賞式に出席するか否かためらった末、出席した講演会の中で次のように語ったという。
「高く強固な壁と、その壁にぶつかって割れる卵があるとしたら、私は常に卵の側に立ちます」
イスラエルのガザ侵攻、空爆により無辜の市民の命が奪われている事態を念頭に置いた発言であることは言うまでもない。
私が印象に残ったのは、これに続く次の言葉である。
「そう、たとえどんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていたとしても卵の側に立ちます」
間違っていたとしても自分はそれを支持する、と言い切ることは、知識人としては抵抗があるものだが、それを言い切る村上氏の根底にあるものは何か、ここで言う「卵」とは何だろうか。
私は、この村上春樹の言葉を読んで、昨年死去した加藤周一氏の「私にとっての20世紀」(岩波書店)の一節を思い出した。同書は、最近、文庫版になったようであるが、極めて示唆に富む書物であり、読んだことのない方には是非一読を勧めたい。
加藤氏は、ベトナム戦争の頃、カナダ西部の大学で日本文学を教えていたそうだが、米国での反戦運動の高まりの影響もあり、大学で学生主体のティーチインが行われることになり、教授の加藤氏も参加したという(72頁以下。
その中で、加藤氏が「実におもしろいことが起こった」というのは、「そのティーチインで最初にベトナム戦争を批判するのは物理学者とか数学者とか自然科学の理論的なことをやっている人たちと、英文学科の教授とか文学部の教授」であり、「もっと専門が戦争に近い国際関係論とか歴史学、政治学者たちはいちばん最後でした」ということだった。
ある日、加藤氏が参加したティーチインで学生や英文学の教授等が戦争反対演説をした後で、政治学の専門の教授が出てきて演壇に立ち「みんな専門家ではないだろう。詳しいことは何も知らない。ベトナム戦争は米国の政治問題だ。ご存じない方が集まって反対している気がする」「政治学の専門の学生もいるけれど大した知識ではない。皆さんに忠告するが、米国の政治は複雑であり、何も知らないで一冊の本も読まないで反対されても困る。私は、今の段階では戦争に反対できない」と述べた。これに対して、加藤氏は罪のない子供たちが殺されていることをしっているだけで戦争に反対する根拠になると反論したのである(続)。
事件を想起しつつ、加藤氏は、科学と倫理、価値判断と真理の関係あるいは知識人のあり方について話を進める。
「戦争に反対する動機は、客観的な理解過程ではなくて一種の倫理的正義感です。つまり、『子供を殺すのは悪い』ということがある。それで、ためらうことはない」
「そういう問題の時にこそ、その目的を達成するために科学的知識を利用すべきであって、科学的知識のために倫理的正義感を犠牲にすべきではない」
「だから私は、戦争反対の方が先にある」「『初めに戦争反対ありき』です」
「反対を貫徹できるかどうかということで学問の助けを借りる必要はある。どこに状況を変える要素があるかということを知るために。しかし、客観的な知識を磨いていることから戦争反対が出てくるのではない」「『科学から倫理』ではなく、『倫理から科学』でなければならないと思う」。
ここには、村上氏が「たとえ卵の立場がどんなに間違っていても、卵の側に立つ」という言葉と通じるものがあるのではないだろうか。