ワーキングプアと女性の目ー日弁連人権大会分科会に参加して 豆電球No.72
ワーキングプアと女性の目ー日弁連人権大会分科会に参加して
10月2日から3日かけて、日弁連人権擁護大会が開催され た。宇奈月温泉に泊まって立山の紅葉でも見て、と思っていたが、ホテルの宿泊予約を間違 えてしまい、日帰りで分科会のみ行くことになった。行きは高山線、帰りは特急しらさぎで石川、、福井、米原経由で一日電車に乗っている感じだった。
第3分科会「労働と貧困ー拡大するワーキングプア 人間らしく生活する権利の確立をめざして」は、神野東大教授の講演は聞き逃したが(憲法分科会と掛け持ちのため)、パネルディスカッションを聞くことができた。
各バネラーの冒頭発言は、次の通りである。いずれも中身があるものであった。
NHKのドキュメント「ワーキングプア」取材班の板垣淑子さん
若者に仕事がない、地方に仕事がないと聞いていたが、今から思うと話半分に聞いていた。努力がたりないのではないかという思いもあった。
取材したわかったことは、地方では、「フツーに」仕事がない。岩手県の取材。本当に仕事がない。高卒者の就職について高校に取材した。20万円以上の賃 金が出る職場は自衛隊だけ。パチンコの住み込み店員といった仕事しかない。フツーの若者がフツーに働きたいという思いに応えられない。
現実は厳しいものだった。ショックだった。
番組では取り上げられなかった事例がある。40代から50代で正職につけずパートやアルバイトをしている人の中に親の年金に依存して生計を立てている人が 少なくない。親が死んだとき、年金をうち切られないために親の死亡を隠して年金を不正受給する事件が多発している。私が取材した人は、半年間、母親の遺体 と住んでいた。発覚時、警察が入った時、遺体は腐敗していたが、きれいだったという。毎日、被疑者が拭いてあげていたようだ。警察官も言葉を失ったとい う。死んだ母親の遺体と同居していた被疑者の心中はどのようなものだったのか。文書偽造、不正受給は犯罪だが、それだけですむ話ではないだろう。
NPO法人シングルマザーズ・フォーラム理事の赤石千衣子さん
私はシングルマザーになって27年。保育士として働いていた。賃金は10万円、そこから家賃が4万円。児童扶養手当3万円が支えだった。女性団体で団体職員として働くようになり、賃金が少し上がり、食べられるようになった。
今のシングルマザーは逆だ。正職員として400万円だった人が転職すると非常勤で200万円になり、次は契約社員、最後は派遣。転がり落ちていく。
ある知り合いの女性には、5歳、3歳、1歳の子供がいた。昼間、寿司店でアルバイトし、子供に夕食を食べさせてから、またその寿司店でバイトしていた。子供が寂しくて私に「お母さんはどこにいるの」と電話してきた。その後、鬱病になり、生活保護を受けている。
ワーキングプアを考える際、女性の低賃金労働ということをしっかり考えるべきだ。1980年代から、「主婦パート」が広がった。すごく便利で安上がり。 これを若者に広げたのが、今言われているワーキングプア。主婦パートの家計補助的な低賃金労働を放置した結果、労働のダンピング化を招いたのではないか。
今後、どうしたらよいのか。
正規職員でも、子どもと一緒に食事が出来ない働き方が正しいのか。シングルマザーが子供と向き合う時間が取れるような働き方、労働条件ができるか否か。シングルにこれができるか否かが、他の労働者にも影響する
もう一つは、女性は正規職員でも7割が出産で仕事を辞める。その女性が仕事に戻ることを支援する。生活保障と結びついた職業訓練が重要だ。
首都圏青年ユニオン書記長の河添誠さん
若者の間にワーキングプアが広がっている。先日、組合に電話してきた24歳の女性。アルバイトの面接に行き不採用になった。不採用でも交通費300円が もらえると聞いたか、貰えなかった、何とかならないか、という相談だった。所持金を聞いたら1000円。ここ一週間は一日一食しか食べていない。 彼氏の アパートに転がり込んでいるが、彼氏の月収は9万円。給料日までのつなぎの現金が欲しいということだった。
若者の貧困の根底には、雇用の破壊と違法行為の蔓延がある。製造業の派遣で働く32歳の女性。派遣先の工場が減産に入ると、直ちに契約を切られる。その 繰り返しで、全国各地の工場で転々と働いている。寮費、電機製品の天引き料を引かれ、一ヶ月の手取りが2万8000円という月もあった。親から自立したい と仕事を始めたが、いつまでも自立が出来ない。自尊心を傷つけられながら、モノのように全国を転がされている。
法政大学法学部の浜村彰さん
80年代後半から90年代に労働法の基本理念の転換があった。経済のソフト化、ホワイトカラーの増大という背景の下に、生存権保証から労働者の自己決定権の尊重ということが言われるようになった。自立し自律する労働者をサポートするのが労働法であると。
しかし、自律とか自己決定できる労働者は一部に過ぎない。
その後の経済の長期低迷と、規制緩和、構造改革の中で3分の1が非正規雇用になった。 労働は商品ではない。最低賃金を保障するだけでは不十分だ。人間にとって働くことはどんな意味を持つのか。適職を選択する権利、自己実現の権利という視点も重要だ。
獨協大学教授で政府の様々な審議会の委員を務める阿部正浩さん
80年代は主婦パート、学生パートが増えたが、2000年頃から男性の非正規雇用が増えた。現在問題になっているのは、30代前半までの世代だ。3つの要因があると思う。
?バブル崩壊の失われた10年の間に、殆ど「雇用の創出」が行われなかった。製造業が衰退し、特に地方がひどかった。
?経済のグローバル化によって、賃金が世界基準で決められていく。中国や東南アジアの労働者との比較で賃金が決められていく。それがダメなら海外に工場を移す、となる。
?技術革新。デジタル化できる仕事はコンピュータが人に代替して仕事をする。その一方で非常に高度な能力が求められる仕事が生まれてきた。
龍谷大学教授(労働法、社会保障法)の脇田滋さん
日本の非正規雇用は政策的に拡大されてきた。それは、正規雇用の労働条件と一体のものだ。95年に日経連の雇用の三分化の方針が示され、家計補助的収入 の非正規雇用労働者が広がった。80年代に主婦パートが先行し、それがフルタイム非正規に広がったことが日本的特徴。これは、世界に例がない差別的待遇、 それが被扶養者の130万円、非課税103万円の枠内で働くパートタイム労働だ。1980年には、厚生省は労働時間が正規労働者の4分の3以下なら社会保 険に加入しなくて良いという通達を出した。これは、法的根拠が全くない。
最低賃金については、以前は日雇い労働者が基準だったが、その後、主婦パートの家計補助的賃金が基準になってしまった。
その後、派遣労働に対する規制緩和の問題点と労働者派遣法の改正の必要性、生活保護等の社会保障予算削減の影響等について論議が交わされた。
翌日の人権大会の本会議では、労働者派遣法を99年の自由化以前に戻すこと(派遣法は、それまでは、派遣という働き方をを原則として禁止し一定の職種に 限定して認めるというものであったが、同年の改正で原則自由化され、それが03年の製造業への派遣労働解禁を通じて今日の310万人の派遣労働者という現 象につながっていった)を議決した。
これは画期的なものである。
最後に若干の感想を記す。
一つは、女性の力、感性の鋭さについて。板垣さんの発言は胸を打つものであり、赤石さんの発言も説得力があった。主婦パートという差別的な雇用形態が若 者に広がったという見方、家計補助的な雇用調整弁としての主婦パートというものがあったからこそ企業は収益を維持し、また正規雇用社員たちもその上にあぐ らをかいていたのではないか、という問題的と私は受け止めた。大企業がパートや派遣社員等を労働組合員として受け入れるようになったのは、つい最近のこと である。差別されたものこそ、真実を見抜くことが出来る。それを赤石発言で改めて学んだ。
二つは、日本国憲法の力。日弁連というのは、すべての弁護士が加入する強制加入団体であり、企業側の立場に立って労務管理や労働訴訟を担当する弁護士も たくさんいるが、その日弁連が、財界の方針と厳しく対立し、日雇い派遣の制限でお茶を濁すという政府の方針も批判し、派遣労働の原則禁止を打ち出すこと が、なぜ、可能なのか。それは、日本国憲法25条が、生存権を基本的人権として保障しているからである。日本国憲法は、言論の自由や集会・結社、思想・良 心の自由等を市民的政治的自由権を保障する近代的な憲法であると同時に、生存権、教育を受ける権利、労働基本権等の社会権を保障する極めて現代的意義を有 するものである。この憲法の力が、深部の力として、日弁連を動かし、社会を動かしている。このことを実感した。