やってみよまい!裁判員制度 豆電球No.41
やってみよまい!裁判員制度
やってみよまい!裁判員制度
裁判所庁舎のあちこちに、上戸彩さんのポスターが貼ってあります(その前は仲間由紀江さんでした)。裁判員制度の広報ポスターです。最近、上戸彩さんが登場した一面ぶち抜きの新聞広告も掲載されました。最高裁が有名女優を使った広報活動をするというのは前代未聞です。
平成21年5月から始まる裁判員制度は、国民から無作為抽出によって選ばれた裁判員が刑事裁判に参加する制度で、6人の裁判官と3人の裁判員が、ともに 刑事裁判に立ち会い、被告人が有罪か無罪か、どのような刑にするかを決めるという制度です。アメリカ等の陪審制は陪審員が有罪か無罪かを判断し、裁判官は 評決に参加しません。ドイツやフランス等のヨーロッパ諸国等で行われている参審制は、選ばれた国民の意見は参考となるだけで評決は裁判官が行います。日本 で行われる裁判員制度は、そのいずれとも異なる独特の制度です。
裁判員制度実施が近づくに連れ、井戸端会議でも話題に出てくるようになりました。
裁判員制度については、実に多様な意見がありますが、その多くは反対意見、あるいは消極的な意見です。だいたい私の高校生の娘も「怖い!そんなの絶対 (ゼッテー)嫌だし!」と言い、妻も祖父も「素人が判断できるのか?」と言っています。弁護士の家族ですらそうなのですから、一般的な方々の意見も推して 知るべし、かもしれません。
私も、果たして裁判員制度が日本の国民に受け入れられるか、どうか、とても心配です。アメリカのように、開拓したフロンティアで(実は先住民であるイン ディアンを排除していたのですが)、住民達自らが自分の生命と権利を守るという自治の精神(アメリカで銃を持つ権利を国民から奪うことが許されないという 主張が根強いのも同じ歴史的背景があると思います)に乏しく、「お上」が「政」(まつりごと)を行うという「お上精神」が国民精神の骨の髄に染み渡ってい る日本で、また、官僚制のもとで近代化を成し遂げた成功体験をもち、「専門家信仰」が根強い日本で、果たして裁判員制度が定着するかどうか、は一つの実 験、試行錯誤というべきです。
そもそも、日本では一度、陪審制が失敗しています。
1923年、陪審法は制定されました。大正デモクラシーの影響を受けた原敬内閣(1918年発足)が法案を提出し、様々な修正の上、可決されました。そ の実施準備に5年間の猶予期間を置くことになり、1928年10月1日から実施に移されました。陪審制導入には、日本弁護士協会も「陪審制度の実現をすみ やかならしめんことを期待する」決議を行い、賛同しました。政府は、陪審制施行の10月1日を「司法記念日」と定めました。日弁連は、毎年10月1日の 「法の日」を記念した行事を行っていますが、陪審制と深く結びいたものであることは十分知られていないようです。
当時の陪審には、法定陪審(一定の重罪事件。ただし、辞退可能)と請求陪審がありました。実施に移された2年目の1929年こそ143件が陪審で審理さ れたが、次第に減少し、最終の2,3年には年間1件ないし2件程度となり、ついに1943年に陪審制は「停止」されるに至った(中公新書「陪審裁判を考え る」丸田隆著)。
戦後、憲法改正にあたり、GHQは陪審制の導入も検討したが、「日本の国情に合わない」という日本側の反対で見送られたといいます。
一度失敗した刑事裁判への国民の参加が今度は成功するかどうか、私は全く予断を許さないと思っています。制度設計についても試行の結果を踏まえ、一層の改善が求められる点が少なくないことも事実でしょう。
今回の裁判員制度については、いわゆる革新的な立場に立つ法律家団体、弁護士の中にも反対意見、消極的な意見が少なくありません。
しかし、私は、一部の弁護士が行っているような(高山俊吉さんという著名な弁護士が、裁判員制度をぶっつぶせと叫んでいます。裁判官の西野さんが書いた 「裁判員制度の正体」という本も、この制度に反対し、「一杯飲んで行けば裁判員にならなくてすむ」等と言う助言まで行っている始末です)、裁判員制度の足 を引っ張るような動きに与しようとは思いません。裁判員制度は、「絶望的」とまで言われてきた日本の刑事裁判、刑事司法を変革する梃子にかるものと考える ものです。
やってみよまい、裁判員制度!
裁判員制度導入が近づき、国民の関心も次第に拡がっていくと思いますので、豆電球でも逐次、裁判員制度についても取り上げていきます。