事務所だより

日本国憲法の制定過程ー古関彰一さんの講演から2 豆電球No.37

2007年10月29日

日本国憲法の制定過程ー古関彰一さんの講演から2

(前号に続く)
(5)芦田修正について
帝国議会には、憲法改正案を審議する小委員会が秘密会として設置された。同小委員会の委員長が芦田均である。
小委員会議事録がされたのは1990年代半ばである。国家の基本法制定に関する議会の審議議事録が約50年も非公開とされたことは驚くべき事であり、社会党も一貫して公開に反対していた。
小委員会の審議の結果、憲法9条2項の冒頭に「前項の目的を達するため」(以下、陸海空軍はこれを保持しない、という字句が来る)という文言が追加され た。これについて、芦田氏は、9条一項は侵略戦争を禁止したものであり、自衛戦争までも禁止したものではないとした上で、1項の侵略戦争禁止を目的を達成 するために戦力不保持を定めたものであり、一定の自衛力を保持することまで禁止したものではなく、これを明確にするために前記の字句の追加を行った、と説 明してきた。芦田は、その根拠として、秘密議事録や自分の日記に関連する記述があることを挙げていた。
しかし、公開された秘密議事録には、芦田氏のそうした解釈を裏付ける記述はなく、同様に公開された芦田均日記にも記述はないことが明らかになった。
芦田修正が自衛力を保持できるようにすることを意図したものであったとする根拠は、見あたらない。

(6)日本政府の草案策定過程
2月22日以降、日本政府がGHQ案をベースに改正草案作成に着手。政府は、GHQ草案に様々な修正を図ろうと画策し、実際に重要な修正が行われた。
例えば、GHQ案では「advice and concent」(助言と同意)を「内閣の輔弼と協賛」に、[souverine of people」を「国民至高」とした。Ghqんの「外国人は平等に法律の保護を受ける」は全面削除された。また、「法の下の平等」についてGKQ案では 「all of the natural person」とされていたのを、「すべて国民は」と修正(日本政府は、国内にいた大量の在日朝鮮人等のことを考慮していたようだ)。その他、国会の一院 制を二院制に、土地の国有化条項は削除された。

(7)日本政府とGHQとの協議(3月4日から5日)と草案公表(3月6日)
松本国務相と佐藤達治法制局次長がGHQ本部に出向き、午前10時から5日午後4時まで30時間の協議。天皇制についてはGHQは断固とした態度を取 り、「内閣の輔弼と協賛」は「内閣の助言と承認」にしたが、「国民至高」についてはその意図に気づかなかったためか同意。GHQは、「people」は 「国民」と一致しないと指摘したが、日本政府は譲らず。
「外国人の人権」の削除も承認した。二院制、国有化削除も同意。
3月6日、政府案好評。天皇の勅語発せられる。

(8)なぜ、GHQは、憲法改正を急いだか。
5月3日から東京裁判開廷の予定であり、当時、被告の選定作業が進んでいた。オーストラリア等は強行に昭和天皇の訴追を主張していたが、マッカーサーは 天皇を戦犯として処罰することは回避したかった。マッカーサーは天皇の戦争責任を免責するために、戦争放棄と基本的人権尊重の憲法を天皇自らが進んで制定 したことを明確にしたかった。天皇の勅語は、ケーデイスが作成した原案を翻訳したものであるが、天皇にわざわざ勅語を発表させた意図もそこにある。

(9)帝国議会での修正
帝国議会では、貴族院、衆議院にそれぞれ委員会が設置され、審議。重要な修正が加えられている。
国民の要件関する憲法10条が追加された。「国民至高」は国民主権と修正された。
憲法9条2項の「前項の目的を達するために」という字句が修正された。前記の芦田修正である。生存権を定めた25条が追加された(ドイツのワイマール憲法が意識されていた。アメリカには、こういう発想はない)。

(10)押しつけ憲法論について
占領軍は間接統治を取っていたという意味を重視する必要がある。憲法改正手続として行われた。明治憲法の規定に基づき、章立ても殆ど変わらず(第2章、 第8章が追加されたが、その他の章立ては明治同じ)、天皇誕生日に公布された。当時の主権者の意思に基づき、定められた手続きに従って行われたということ である。
30時間のぶっ通しの徹夜協議などを見ると、占領軍司令部による押しつけと言われる事態はあったと言える。9条の戦争放棄は、マッカーサーの政治戦略が反映していた。
では何が押しつけられたのか。押しつけられたことによって、昭和天皇の戦争責任が免除された。戦争放棄条項は、天皇の戦争責任の免責と一体である。
その結果、日本国民の間に、戦争責任の無自覚という現象が生じることになった。
サンフランシスコ条約に反対した岩波グループがあるが、全面講和ではなく片面的講和だから反対したというものであり、賠償責任免除を批判したものはいな かった。日本は、一方で9条を得たが、他方で戦争責任に無自覚であり続けた(同時に、日本人は、沖縄も犠牲にしたー私見)

関心のある向きは、古関彰一さんの著書、中公文庫「日本国憲法の誕生」を是非読まれることをお勧めする。
最近は、押しつけ憲法論(日本国憲法はGHQから押しつけられたものだから、自主憲法を制定しようという論)は、一部の右翼的団体を除いて、めっきり影 を潜めてしまった。 それは、古関氏をはじめとする憲法制定過程の歴史研究も反映しているのかもしれない しかし、私は、何よりも、憲法9条を改正し海外 での武力行使を認めさせようとする動きの根源が日米同盟と米国からの要請であること、すなわち9条改正の動きこそ、アメリカによる押しつけの産物であるこ とが、イラク戦争等によって白日の下に晒されるようになったため、9条改正論者も恥ずかしくて「押しつけ憲法」「自主憲法制定」等と言えなくなってきたの ではないだろうかと思っている。
古関さんは、9条と天皇の戦争責任免除が一体であること、9条と沖縄の軍事要塞化が一体であることを強調した(古関氏によれば、マッカーサーは、ソ連が 占領してきたときは、沖縄の米軍基地を拠点とした空軍力によって撃退できると考えていたという)。その結果、日本人は(沖縄を除く大和民族は)、戦争責任 に鈍感になった。最高責任者が免責されたのであるから、国民がその責任に鈍感になることは当たり前かも知れない。また、沖縄に基地の負担を押しつけたまま 60年以上が経過してしまった。
これらの問題を解決する課題が残されており、その意味では「戦後は終わっていない」のである。

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