座談会「今、なぜ『蟹工船』が読まれるのか2」
座談会「今、なぜ『蟹工船』が読まれるのか2」
長谷川
この時代は世界大恐慌が始まった時代ですが、振り返ってみると、物凄くストライキとか小作争議が増えている。日本で初めてのメーデーが行われたのが大正9年だから1920年でしょ? 5月2日の上野公園で1万人が集まった。大正デモクラシーの中で、労働組合が進んでね、闘いが前進していた時代なんです。それから小作争議も激増しています。労働現場は、非常に前近代的な、浅川(『蟹工船』に登場する現場監督)のような野蛮で暴力的な支配はあったけれども、同時に労働者や農民の闘いが高揚していった時代なんです。
島村
多喜二が銀行員をやっている1926〜7年ぐらいに、磯野農場という近くの農場で小作争議が起こっています。小樽港湾争議っていう労働者のストライキも起こっていて、この両方を彼は支援しています。それで、いろんな仲間と知り合う中で、だんだんマルクス主義とか革命運動に接近していきます。その時のエピソードですが、彼は驚いているわけ。一介の労働者や百姓の口から、ストだ階級だって言葉が出てくるということで、つまりそういう運動が現実に目の前に勃興してきた、そのせめぎ合いなんだよね。これが起こってくるから弾圧も強まる。それで潰されていくんですね。
長谷川
僕は『蟹工船』を現代にひきつける時に、当時の悲惨な労働実態と今の派遣の状況や低賃金とかね、そういうことだけじゃなくて、やっぱり人間の闘いが主役じゃないのかな。蟹工船で働く、浅川に虐められたみじめな労働者が主役なんじゃなく、闘う労働者が主役だと思うんですよ。だけどそこが若い読者にポジティブに捉えられないというところに、僕は今の時代の根本的な矛盾を感じますよ。
山口早苗さんという人の感想を読んでいただくと解るんだけれども、「私が受けた第一印象は、虚無感と絶望感だ」というわけですよ。私たちはもう立ち上がれないと思った。共有できる何かが小林多喜二の時代にはまだあった。でももうストライキはファンタジーだと言っているわけね。私たちロスジェネ世代は団結という言葉に不信すら感じている、胡散臭さを感じるようになってきたというわけね。だから『蟹工船』の捉え方として、もうちょっとアクティブに、労働者の素晴らしさというかね、一緒に連帯して闘った素晴らしさというところにもっとスポットが当たって欲しいと思いますね。でもそこに目が行かないというか、それは自分たちとは違う世界と受け取ってしまう現代の時代状況。
熊谷
その、虚無感、絶望感っていうのを感じることは理解できます。同世代として。だとしても、今、『蟹工船』が読まれる根底には、やっぱり、「闘いたいんだ」というような、「生き辛さを跳ね返したいんだ」というような感情があるんだろうなって思います。
島村
山口さんの感想文の一番最後のところに、「もし多喜二が今を生きるとしたら、私たちが働く職場にやってきて頑張れよと励まし、更に話を聞いてくれた後『蟹工船』の最後を締めくくった言葉のように、『やはり彼らは立ち上がった』と書き付けるのではないか。その一縷の想像力がなくては今の私には読めない小説だ」と書いています。この「揺らぎ」ですね。
熊谷
私はこの一節が好きなんですけどね、「俺たちには俺たちしか味方だねえんだ」っていうとこ。やっぱり国家とか軍隊は、俺たちを守らないんだっていう本質に気づくわけですよね。今の社会でも、そのことに気づくか気づかないかってことが凄く重要な意味を持っていると思うんですよね。
もう一つ好きなのは、「やれやれじゃねえ、やろうやろうだ」ってとこです。最近本屋でアルバイトしているっていう若い子としゃべった中で、彼は『蟹工船』を読んでいて、その彼と、やっぱり今の社会おかしいよねって話をしていたんですけど、彼が言うには、本屋の中で、みんなでストライキやろうかって話をしたそうです。それを活き活きと話してくれたのが印象的でした。『蟹工船』には、やろうやろうっていう人たちが活き活きとそういうことを言うっていう力がある。
島村
『1928年3月15日』の中に、ストライキについてのおもしろい話が出ています。龍吉っていう、インテリの主人公が拘置所に入れられているところへ巡査がこぼしに来るわけですよ。愚痴をね。「ねえ君、これで子どもの顔を20日も、ええ、20日だよ、20日も見ないんだから、冗談じゃないよ」「いや、本当に恐縮ですな」「非番に出ると、いや、引っ張り出されると、50銭だ。それじゃ昼と晩飯で無くなって、結局ただで働かされている事になるんだ。実際は飯代に足りないんだよ。人を馬鹿にしている」「ねえ、水戸部さん(龍吉は名を知っていた)貴方にこんな事をいうのはどうか、と思うんですが、僕等のやっていることって言うのは、つまり皆んなそこから来ているんですよ」水戸部巡査は急に声をひそめた。「そこだよ。俺達だって、本当のところ君等のやってる事がどんな事かくらいは、実はちゃんと分ってるんだが・・・」龍吉は笑談のように「その<が>が、要らないんだがなあ」「うん」巡査はしばらく考え込むように、じっとしていた。「何しろ、見かけによらないひどい生活さ。ね、君は教授をしたくらいの人だから、こっそり話すがね。(龍吉は苦笑してうなづいてみせた)昨日さ、どうにもこうにも身体が続かないと思って、付添をしながら思い切って寝てしまったんだよ。いい塩梅だと思っていると、また検挙命令さ。がっかりしてしまった。それでもイヤイヤ4人で出かけた。ところが、途中でストライキをやろうって話が出たんだよ」「へえ。巡査のストライキ」しかし巡査が案外真面目な顔で言うのを見て、彼はフトその笑談を止めた。「ストライキなら、その道の先生が沢山いるんだから、教わればいい。それに今度の事件は全国的で、何処もかしこも、てんてこ舞いをしてるんだから、やったら外れっこなく、万々歳だ、という事になったんだ」と、こんなことが書いてあるんだよね。若者の感想文のなかでも、バイトに行ってみたら、自分もかなり厳しく、こき使われているんだけど、店長は年がら年中いつもいると。真夜中に遅番を終わって帰ろうと思ったら、店長がまだパソコンいじっていると。それでシフト票を見たら翌日はまた6時から仕事になっているっていうんだよね、その店長は。店長はいったいつ帰るんですかと、死んじゃいますよこんなことしていたらって真顔で言ったら、「人間いつかは死ぬんだ」みたいなことを言ったっていうね。こういう厳しく絞られている労働者が、”名ばかり店長”の労働状況を見て同情しちゃうっていうぐらいなんだから、連帯の目というか、なんとかしなきゃぁっていう思いは共有できるんだよね。
島村
今一番の問題は、あまりにも資本主義の仕組みが極端に突き進みすぎちゃっていること。お金がお金を生むというのは資本主義の本質なんだけども、大きなお金が極端に大きなお金を生むと。そして生活をするためのお金が充分に入らない人たちが、まさに生活を支えられないほどの底辺に追いやられる。これはもう、資本主義の勃興期はそうでしたが、19世紀イギリスで、何でマルクスが『資本論』を書かなければいけなかったかっていうと、工場の工場主だけは、どんどん肥え太っていく。そしてそこで働かされている子どもたちは8人が同じベッドで寝ているって、エンゲルスが書いています。それが20世紀になって、マルクス主義のように革命によって資本主義を変えてしまうのはまぁ、無理かもしれないけれど、その格差をなんとかしないといけないっていうので出てきたのが修正資本主義でね。だけど、1980年代にヨーロッパやアメリカで起こったことというのは、その修正資本主義をぶち壊すと。サッチャー・レーガニズムというね。それが中曽根路線や小泉路線になってきたわけだけど、資本主義の儲けをもっと取るためには、それまでの政治が吸い上げて還元していた福祉社会というのを壊して新自由主義の社会を作る。ここ20年間ぐらいのこの動き。特に日本の場合は95年以降なんだけども、これが全て今日の問題を作ってきた。だからここ10年間にほんとに被害が集中して現れたんですね。「ロストジェネレーション」は、その被害者です。
畔柳
今日の参加者も、みんなロスジェネ世代ですね。
島村
その人たちが真剣になって、何かを伝えようとしている。30歳前後4〜5年。この動きの中に何か目があるんじゃないか?って気がするんです。連帯ということの大切さを、気づき始め、可視化し始めてきた。という気がするんです。
熊谷
私が今思っているのは、大きく言えば、社会に目を向けていくっていうことが大事だということです。昨日も、働き甲斐を奪われて低賃金で働かされている人の話を聞きました。現状、目の前があまりにも大変だから、解っちゃいるけど、そこに力を注げない。とにかく休みたい。遊びたい。
今、団塊の世代がどんどん辞めていくっていう時代に入っていますけれど、そういう、嘗て社会を変えられると思って闘ってきた人たちに、是非とも協力して、いろいろ教えてもらいながら、闘っていけたら良いなと考えています。
長谷川
畔柳さん。今日の話を聞いて、特に何かありますか?
畔柳
何か、大学のゼミみたいで楽しかったですね(笑い)。最初の小説の出だしは暗めなんですけど、でも、前向きなところもあることが新鮮でした。
職場では中堅の部類に入ってきてて、そういう中堅だからこそ、そういう世代が反応するのかなって感じがしました。凄い、頑張ろうという気にもなりました。
福島
私、大学4年間と根室の公設法律事務所に2年間働いていて、北海道を第2の故郷と思っているくらいなんですけど、『蟹工船』は北海道の開拓・開墾の時代の話ですよね。炭鉱で酷い扱いを受けてて、こっちの方がましじゃないかと思って蟹工船に乗ってきて、結局、どっちも地獄だという話ですよね。山の人もそうだし、農民たちもそうですけど。私も凄い愛している土地なんですけど、戦前はこんなに酷い状態で、労働者の人たちが弾圧されていたという現実を知って。そういう歴史があったうえで、今の北海道があるんだってことを、ちゃんと意識して、これからも北海道を愛していこうかなと思いました。
島村
特にこの、殖民都市小樽は内地との関係が深いから、植民地だから、一層その宗主国的立場にある内地との関係。それから朝鮮。小樽ってロシア航路がありましたからね。
多喜二は秋田で生まれました。多喜二が何で小樽に住んで、パン屋で仕事をして拓殖銀行の社員になったのか。それは叔父さんが北海道へ行って、日露戦争の関係で小樽に軍艦が寄港するから、その軍艦にパン食を供給するんで儲けて、多喜二を含む弟一家を小樽に呼び寄せた原因になったわけね。
長谷川
今日は本当にありがとうございました。