中国・青蔵列車の旅 〜旅のレポート その3(最終回)
高原列車、そしてチベットへ
2007.9.14
立 木 勝 義
8月25日 午前9時08分 「ユィチューフォン駅」通過
外気は摂氏2度。標高4263メートル、すでに富士山の高さを超えている。酸素不足が出て気持ちが悪くなる時間がせまっているのか、客車案内の列車係が酸素吸入の道具を配りにきた。列車は順調に走り続けている。
9時27分 標高4779メートル 外温度 摂氏01度 速度64?
10時23分 標高4585メートル 外温度 摂氏01度 速度 ?
10時39分 標高4673メートル 外温度 摂氏00度 速度 ?
10時50分 標高4594メートル 外温度 摂氏01度 速度97?
13時47分 標高4893メートル 外温度 摂氏10度 速度 ?
13時55分 標高4962メートル 外温度 摂氏13度 速度 ?
14時05分 標高5068メートル 外温度 摂氏 度 速度 ?
やったー! 標高5000メートル突破
昼寝をして起きると、ちょうどタングラ駅を通過。あわててシャッターを切る。間に合ってカメラに収まった。遠くの7000メートル級の山がガスで見えないのがなんとも残念でした。
列車は一度も停車せず(途中、すれ違いの「運転停車」が2度程度)、約9時間走り続け、はじめて駅に停まりドアが空いたのは「ツォナ駅」だった。すでに 他のお客が先を急いでホームから湖(ツォナ湖)の写真を撮っていた。しかし、それは誤ってドアを開けてしまったようでトラブルとなった。それでも私と熊谷 君は運良く一枚の写真を撮ることに成功した。発車後にトラブルを起こしたチベット人が事情聴取のため私たちの車両の前を職員に引率されていった。
このツォナ湖は、鉄道線路に非常に近い場所にあり、まるで湖面を列車が走っているような感覚に陥る。チベット族から「神湖」と称され、果てしない大草原と大空に引き立てられた「ツォナ駅」は格別に美しかった。
列車が正規に停車したのは「ツォナ駅」の手前のアムドという駅であった。この駅では客が少し下車したようだった。
次に列車が停車したのは午後5時55分、「ナクチュ駅」(海抜4513メートル)で「世界の屋根の上の屋根」と称され、万里に続くチャンタン草原で知られるこの地からは牛羊の群があちこちに見られ、済んだ湖も近くから眺めることが出来る。
午後6時10分 「ナクチュ駅」を出発
午後7時55分 「当雄(トゥオル)駅」(海抜4293メートル)停車。線路の左側一体は牧草、右側に町並み少し続いていて、その背後に山が迫っている。 その山の上にはいつのまにか月が出ている。日没は午後8時40分ころだったので月と太陽を同時に眺めて、車内食堂で少し遅い夕食をいただきながら列車の旅 が続いた。
途中、何人かの人が酸素不足で気分が悪くなって酸素吸入をした。私は早めの酸素吸入を3回ほどおこなったので頭の痛さは軽かった。酸素が薄いところでは何事もスローペースで行うことが肝要なのだ。
25日 午後10時03分 ラサ駅に到着。
ラサの観光を案内してくれるガイドさんが出迎えてくれた。歓迎の印に白いスカーフをかけてもらった。こちらではお祝い事や他人の家を訪問する際には必ず白いスカーフを持参して相手にかけていただくことで信頼関係ができるという風習があるとのこと。
朝5時30分起床して、午前7時33分から午後10時までの約14時間30分の列車の旅、さすがに疲れました。今夜はこのままお休みということでした。
やはり出ました高山病患者
26日ラサの朝。ラサの市内観光へと出発しようとすると、2人の方に高山病症状が出て、様子を見ているとのこと。やはり、なれない高山での生活(ラサは標 高3840メートル)は無理がでるのか、2人の方は午前中は休養することになった。あとで聞いたのですが、高山病は「息が苦しい」「心臓が激しく波打つ」 状態になるそうで、血液中の酸素の量が70%を割り込むと危険水域に入るとのことです。
78才を最高齢として残った15人は、元気に「セラ寺」の観光へ。ガイドさんの説明では、チベット自治区の人口は230万人で、このラサ地域に25万人が 住んでいる。チベット人の平均寿命が63才。100歳以上は118人。ラサ市内の義務教育は98%が受講しているが、農村部だと約3分の1程度になり、遊 牧民族ではほとんどが学校に通っていないという。学費は全額国庫負担であっても条件がない子どもの教育問題は深刻だと痛感した。
その後、世界遺産のポタラ宮を見学。入場制限と時間制限が厳格で、制限時間を超えてしまってからの退場となるとペナルティが課せられる制度(ガイドに対す る制裁処置)が適用されるとのこと。チベット文化の宝庫のお寺を見学すれば、もうこの旅も終わったようなものでした。
27日ラサ空港から成都、上海へ空路移動。蘇州で2泊して上海から上海空港までリニア鉄道の時速431キロメートルを体験して帰名したのは29日になりました。
旅の終わりに宿泊した蘇州市は人口600万人、出稼ぎ400万人の合計1000万人で、建設ラッシュ中である。ガイドの説明では、古い町並みを保存しなが らもものすごいスピードでの町作りが可能なのは、土地の所有権が国にあり、国民にあるのは70年という使用権のみであることに起因しているとのことだ。
8泊9日の旅を終えて
今回、中国の北西部から南西部にかけて旅した感想は、「中国は広くて、大きすぎる国、大自然の宝庫」で、おそるべき力を付けつつある国で、日本経済は東 アジア圏を無視して進むことは不可能になっていると痛感した。中国が2008年の北京オリピックと2010年の上海万国博に向けて、どんな変貌を遂げるの か私には想像できない。