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「表現の不自由展・その後」 中止事件から表現の自由を考える①

2019年11月08日

 2019年8月1日から10月14日まで開催が予定されていた「あいちトリエンナーレ2019」に出展されていた「表現の不自由展・その後」(以下、「不自由展」といいます)が、脅迫や暴力的な抗議電話などによって、開会後わずか3日で中止に追い込まれました。

 これに対しては、再開を求める裁判を申し立てていましたが(私も弁護団の一員です)、9月30日の期日で「10月6日~8日に再開することを前提として、双方誠実に協議する」という内容で和解が成立しました。この事件についてはまだまだ状況が流動的なので、事件の経過や結末は次回報告することとして、今回は、「表現の自由」の大切さについて考えていただきたいと思います。

表現の自由はなぜ大切なのか

 民主主義社会においては、脅迫的な内容を含むなど刑法によって処罰対象として禁止される表現行為を除き、表現の自由は最大限保障されることが前提となっています。

 それは、時の支配者が、自分にとって不都合な、気に入らない表現を抑圧し、禁止してきた歴史の反省から認められてきたものであるとともに、表現行為が個人の自己実現・自己発展のためにも不可欠な行為であること、そしてまた、快・不快を問わずあらゆる表現行為に触れることによって、自由に討議する機会を保障するという表現の受け手の権利(知る権利)を保障するものでもあるからです。

 とりわけ政治的な問題に関わる表現行為は、政治のあり方についての情報を与え、取得する機会を最大限保障する意味で、民主主義にとって死活的に重要な権利として扱われています(表現の自由の優越的地位、と言われています)。

今回の事件が持つ意味

 今回の「不自由展」に対し、河村市長は「日本国民の心を踏みにじる行為であり、許されない。即時天皇陛下や歴史問題に関する展示の中止を含めた適切な対応を求める」と発言しました。

 また、菅官房長官は「補助金交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と発言しましたが、それを受ける形で、9月26日、文化庁はあいちトリエンナーレ2019に対する補助金を交付しないと発表しました。

 これらはいずれも、政府の立場と異なる表現、公権力者にとって気に入らない表現は排除し、あるいは補助を与えないという形で制限するものであり、まさに憲法が禁じている、公権力による表現の自由の抑圧にほかなりません。歴史の教訓から反省されてきた「公権力による表現の自由の抑圧」が再現されようとしているのです。

 表現の自由を、そして自由な社会を次世代につなぐためにも、今回の事件を通して、多くの国民に、改めて表現の自由の大切さを噛み締めてほしいと強く願うばかりです。

弁護士 伊藤勤也(名古屋北法律事務所)

(2019年10月「新婦人北支部・機関誌」へ寄稿した原稿を転機しています)

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