今月のけんぽう 21条 表現の自由
憲法21条は、いわゆる「表現の自由」を定めた条文です。第1項で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定め、第2項で「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と定めています。
雑誌や新聞、書籍、テレビ、ラジオ、インターネットラジオ、街頭宣伝やデモ行進、集会、ビラ配り、ツイッターやブログでの情報発信、誰かとの会話など、これらはすべて「表現活動」です。私たちは普段、ほとんど全て誰かの表現活動によって情報を得ています。
表現の自由は、こうした国民の様々な表現活動を、国や自治体から妨げられない、という権利です。この表現の自由は、憲法で保障されている人権の中でも、飛び抜けて重要度が高いとされています。それは、「個人の自己実現」と「民主主義・国民主権」にとって、表現をすることが必要不可欠だからです。
というのも、人は、他の人と会話や議論をしたり、知らなかった事実を知ったりする中で、「自分らしい考え方・価値観」を身につけ、「自分らしい生き方」を探しながら生きています(自己実現)。世の中に、たった一つの考え方、一方的なものの見方の情報しかなければ、みんな同じ考え・価値観に従った生き方しかできなくなります。価値観の押しつけに抵抗し、「自分らしい生き方」をするためには、自分のそれまでの価値観に合わないものも含め、たくさんの多様な情報流通や自由な発言が必要不可欠なのです。
また、民主主義・国民主権という観点から言えば、私たちは、主権者として、国や地方自治体の行おうとしている政策について、どういう内容なのかを知り、その政策によって得られるメリットとデメリットは何なのかを考え、議論した上で、その政策を実施すべきかどうか判断できなければなりません。たとえ自分の選んだ人が政権についたとしても、その人が好き勝手に政治を行わないよう、国民自身が見張り、よくない政策に対しては、選挙で「NO」と言わなければなりません。そのため、国や政治家に対する批判を含めた表現を、国が簡単に規制できないようにしているのです。
ところで、昨年自民党の発表した「改憲案」では、表現の自由を保障するとしておきながら、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」と書いています。すべての政策が建前上は「公益のため」に行われることを考えれば、政府の行おうとする政策に反対する表現活動は、「公益を害する」とされないでしょうか。国による恣意的な表現規制を禁止する、という表現の自由の意義は、どこへ行ってしまうのでしょうか。
改憲案とともに、秘密保全法案も作られています。この法案も、自由な表現とそれを支える取材・報道を、政府の都合によって規制することができてしまう危険な法案です。
表現の自由が最も重要な人権のひとつとされてきた理由を、改めて考えるべき時が来ています。
弁護士 矢崎暁子