平壌出張記〜市民生活編
9月末から10月初旬にかけて、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌(ピョンヤン)に出張に行ってきました。
この間、平壌に出張というと、多くの方に「一体どんな事件で?」と驚かれました。あまり知られていませんが、歴史的にも関わりが深い朝鮮半島と日本には、別れて暮らす家族が多く、相続問題がしばしば発生します。特に在日朝鮮人の相続については、朝鮮民主主義人民共和国が日本法によることを認めているので、日本の弁護士にも出番があるというわけです。
今回は、北京−平壌(ピョンヤン)の直行便で平壌入りし、1週間ほど平壌のホテルに滞在しました。2006年10月の政府の渡航自粛要請以来、日本から北朝鮮地域へ観光で行く方は少ないようで、平壌国際空港でもほとんど日本人は見かけませんでした。
圧倒的に数が多いのは中国からの観光客で、ちらほらとヨーロッパからの観光客がまざっている感じです。
滞在した平壌ホテル(在日朝鮮人の利用が多いためかカラオケルームあり)から歩いてすぐのところに大同江があります。
9月30日は秋夕(朝鮮の秋の名節)で休日ということもあり、川縁には思い思いにくつろぐ市民の姿が多く見られました。
秋のはじめの平壌は、一年で最も良い季節。気持ちの良い木陰では、女性たちがゲームに興じていました。「写真を撮っていいですか?」と声を掛けたら、「そんなことより一緒に遊びましょうよ」と照れ笑いをしながら誘ってくださいました。ルールが分からず断念しましたが、残念。大同江ほとりで憩う人々はフレンドリーで観光客にも声を掛けてきます。私の朝鮮語は大人には通じますが、幼い子たちは日本風のイントネーションに眉をハの字にして「何て言ったの?」と困惑しきり。女性たちがやっていたゲームは、帰国後に中国朝鮮族の方に聞いたら、民俗遊戯の一つだそうです。
大同江の夜景です。
ホテルのスタッフに、カップルがたくさんいるよと聞いて、興味本位で見に行きました。こう書くと、とってもさびしい人間のようですね(ようですね、なんて濁していますが、自覚しているので突っ込みはなしでお願いします)。
決して対抗心からではありませんが、同じツアーの参加者の方とカップル風の写真を撮ってもらい満足。
等間隔でカップルが並んでいる様子は、まるで京都の鴨川を見るよう。恋人たちの行動様式は万国共通のようです。
最近マンションの総立替えをしたチャンジョン街のマンション郡。マンションと、その間に立ち並ぶスーパーマーケットや喫茶店、レストラン、劇場などで一つの住宅街になっています。平壌では、共同住宅が基本で、いわゆる一軒家はないとのこと。
ここには、スーパーマーケットに買い物に行きました。ここのスーパーでは、中国元、米ドル、ユーロなどの外貨が使え、レジに当日のレートが表示されていました。日本円も使えましたが、あまり流通していないということで、お釣りは米ドルでした。
商品は中国産が圧倒的に多かったです。これは平壌全体に言えることで、10年前と比較すると中国製品、国産製品がかなり普及していました。10年前は、ホテルの電化製品などは日本製が主流でしたが、この間の経済制裁の影響でしょうか。
ピンクの上着はスタッフの制服です。昔から、朝鮮では南男北女(ナムナムプンニョ)と言われ、男性は南が美しく、女性は北が美しいとされていますが、平壌の接客業の女性は美人が多かったです。南出身の私としては大変遺憾ですが、ふっくらした白い頬に丸いつぶらな瞳の北方特有の美人を見ると、「南男北女」の信憑性を感じずにはいられません。平壌の女性たちは、10年前と比べるとグッとおしゃれになり、ピアスをしている女性がたくさんいて、新鮮でした。
平壌市民の足は、路面電車とバス、地下鉄です。自動車は一般の庶民にはまだ普及していないようでした。外車が多いですが、平和自動車というブランドの格好の良い国産車が走っていたので、注目してみると、韓国の現代自動車(ヒョンデ)との合弁製品でした。平壌駅の真ん前には、平和自動車の大きな広告があり、「民族の一つになった力で前へ!」という力強いフレーズが。この間の南北交流の確かな成果が感じられました。
平壌ホテルの喫茶店から見えるライトアップされた劇場。ここは明るいためか、日が沈むころに玄関口に来て読書なり勉強なりに没頭している中学生をよく見かけました。電力供給は、昨年から大分安定し、今年は一度も停電がなかったとのこと。劇場では様々な革命歌劇を上演していましたが、市民の楽しみはゴールデンタイムに放送される外国映画(主にヨーロッパの映画)だそうです。