私のスペイン巡礼の道(Camino de Santiago )
私のスペイン巡礼の道(Camino de Santiago )
昨年の9〜10月にかけて、一人で“スペイン巡礼の道”に、出かけました。この中で感じたことを記したいと思います。
ピレネーを越えたスペイン側の最初の村から、サンチャゴコンポステーラまで、約750?を歩く予定でしたが、そうは簡単にいかず、約430?の地点で膝の 筋を痛め、歩く旅を終わりにしました。 12キロの荷物を担いで、毎日20〜30キロ歩くのはこの歳(66歳)では相当の負担になりました。歩き通すこと が出来なかったのは残念でしたが、よく430キロも歩いたというのが最近の実感です。
ホウネット 事務局長 谷 尚典
順番を間違わないように
出発の前、なぜこんな“無謀な旅”をするのかと、よく言われました。私もそう思いました。私を大きく突き動かしたのは6年前に28歳で亡くした娘の 死でした。自分なりに整理が出来ていたような気がしていましたが、いま何かをやらなければと思いたったのがCamino de Santiagoでした。それは昨年の3月(娘の7回忌)のことです。それから巡礼の資料を読み、経験者から話を聞き、トレーニングをし、そして今回のた びになりました。
死に順番はないと思いますが、順番を間違わないようにしたいものです。
巡礼の合言葉 Buen Camino (良い巡礼を)
この“道”で多くの国(ドイツ スペイン フランス カナダ ブラジル 韓国他)の旅人に会いました。スタートするとおおよそ歩く距離も同じなので、宿泊 場所(巡礼宿)もだいたい同じです。そして親しくなります。お互い“良い巡礼を”と挨拶をし合います。私はスペイン語も英語も充分ではないのですが、同じ 旅をする人の心は通じるものです。足を痛めて、引きずるように宿に着いた時、途中”buen camino”と激励しながら 私を追い越して行った人達が手をたたいて、迎えたくれたのには、感動しました。
病院は午後7時からです
足を痛めて、宿に着き膝のテーピングをはずしても、歩ける状況でないので、病院に行くことになりました。だいたい宿に着くのは午後2時か3時頃で す。ところが午後7時以降でないと診察出来ないというのです。後でわかったことですが、巡礼の道に在る病院は午後7時まで地域の病院として、地域の人達を 診察します。7時以降は巡礼者を診察するということでした。言葉もよく通じず苦労しましたが、料金がタダというのには驚きました。
またある大きな街では、巡礼病院(Peregrino Hospitar)がそのまま大きな総合病院になっていました。永い巡礼の歴史を感じました。
それぞれの巡礼
巡礼手帳(巡礼宿に泊まるにはこの手帳が必要)の申請をする時、何のために巡礼路を目指すのかを明示しなければなりません。宗教、スポーツ、文化か ら選ぶのですが私はキリスト教徒ではなく、文化としました。会った旅人は必ずしも宗教目的でなく、私のようにそれぞれの思いで、道を歩いていました。
病気を克服して歩く人、仕事をやめ貯めた金で歩く若者、韓国の旅人は「いま韓国ではマスコミの特集もあって、スペイン巡礼はブームです」と言って歩いてい た人、また4年をかけて、巡礼を完成させるというスペイン人など、それぞれの旅人に、それぞれの巡礼があるのだと思いました。
ハムさんのこと
巡礼の道で多くの韓国人に会いました。その一人がハムさんです。
スタートして二日目の頃だと思います、日本語で「こんにちは日本の方ですか」と声を掛けられたのが最初です。ハムさんはカナダの人と歩いていました。しば らく3人で歩き、親しくなりました。ある時「タニさん、今日は妻の誕生日です。タニさんのことは話していますので、今から妻に携帯を掛けます、おめでとう といっていただけませんか。」というので、電話口でハッピバースデーツーユーと歌いました。すると奥さんから「タニさんありがとう。お元気ですか」と日本 語で返事が来ました。私は韓国に対し、日本の過去の歴史的あやまちから、常に後ろめたさを持っていました。ところがハムさんに是非韓国に来て下さいといわ れ、これから韓国語も少し勉強して、いつか行きたいものだと思いました。
ハムさんはオーボエ奏者ということは聞いていましたが、HPアドレスを聞いていたので、さっそく今度入所される裵明玉弁護士に調べてもらいましたら、ド イツの交響楽団に6年間いて、現在は韓国の大学の音楽教授をしており、韓国では著名な音楽家ということがわかりました。韓国に行って会ってみたいですね。