読書のしおり(9)中学時代の思い出と私の好きな詩 『石垣りん詩集』
今から40年前私が中学生だった頃の思い出から。
下駄箱から上履きに履き替えて階段をのぼった2階の右端の壁が黒板だった。ちょうど廊下の幅の分の大きさの黒板。L字に曲がると3年生の教室が並んでいる。その黒板に毎週月曜日の朝早く、先生が“詩”を書く。内容に決まりがあったかどうかはわからない。高村光太郎、立原道造、中原中也、石川啄木等の有名な詩や7月は原爆(広島県なので)に関する詩等だったと思うが選んでいた基準はわからない。私は、先生が詩を書いているのを見るのが好きだった。長い詩も短い詩もちょうどぴったり黒板におさまる。下書きもなしに、行間も最後までかわらず、字の大きさも変わらない。それでいてぴったり最後までいく。なんだか不思議な思いで先生が白墨で書くのを見ていた。だいたい一週間ごとに、一カ月ぐらいのこともあった。担当の教科は英語だったから、その詩は先生の趣味だったのではないかと思う。とても長かった詩はプリントでもらった。今でも「道程」や「君死にたまうことなかれ」は覚えている。当時から美しい風景よりも人間の方に魅かれていたようだ。中学3年の時身近だった詩にまた興味を魅かれるようになったのは、大学時代、石垣りんの詩集を見てからだ。
表札
自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。
病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。
旅館に泊まっても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼場の窯にはいると
とじた扉の上に
石垣りん様と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?
様も
殿も
付いてはいけない、
自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。
石垣りんの詩に解説は要らない。
生きていくこと、働くこと、女の大変さや怒りがそのまま心に響いてくるから。
2013/11/27 長谷川弘子