読書のしおり
小学生の時は、楽しかったから本を読んだ。テレビ以外娯楽というものは、わが家にはなかったから。中学生では、部活以外することはなかったから学校の図書室に新刊書がはいるのがうれしかった。高校時代は、教科書や資料集にある作品ぐらいは読んでおくべきかなと思って、おもしろいと思う本もひたすら最後まで我慢する本もあったが、とにかく読んだ。大学に入ると一度に読む本の範囲がひろがった。寮の先輩から、「20歳の原点」「空想から科学へ」「家族・私有財産及び国家の起源」「不敗の村」「婦人論」「人間の歴史」その他様々な本、これまで手にとったこともないような本を勧められて手当たり次第という勢いで中身の理解はともかく読んだ。
そして、子供が生まれて絵本や短いお話を読むのが習慣となった。大学時代からささやかに(お金がなかったから)絵本を集めていたのが今度は子どもをダシに自分の好きな絵本や児童文学の本も買えるのがうれしかった。
50歳をとっくに過ぎた今、自分がおもしろいと思う本か興味がある本しか読まない。半分まで読んでつまらなければさようなら。もう我慢して教養をつけようなどとだいそれたことを思っても無駄だから。興味がなければ、字づらをおうのみで頭の片隅で今晩のおかずを考えている自分がみえるから。図書館や新聞の本の紹介でおもしろそうなものをみつけるとその本を読み、おもしろかったら同じ作者のものをあきるまで読む。半年前のマイブームは池井戸潤。知り合いに「空飛ぶタイヤ」を貸したらまだ帰ってこない。「すごくおもしろかったから夫に貸したら、朝まで読んでいたから友達にも貸していい」「いいよ」ということでしばらく帰ってこないらしい。「下町ロケット」もよかった。おもしろかったから文庫本はほとんど買った。図書館で20人待ちなんて気が遠くなったから。
夫は、私が好きな本は弱い人・ものが頑張って最後にむくわれるというワンパターンというがそれでいいじゃないかと思う。こんなひどい世の中、本の中くらい正しいものがむくわれないでどうする!
ということで、私がおもしろかったよ、という本を今後紹介しますね。
2013/07/04 長谷川弘子