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事務所だより

ローカル線2日で800キロ、ひとり旅(2) 参与 立木勝義

2010年5月6日

○並行在来線は守られるのか、上越地方の不安

 3月6日土曜日 2日目のローカルの旅は、篠ノ井線の今井駅からのスタートです。今井駅は新駅らしく駅前ロータリーも真新しい感じがしました。ホームに立つと「しなの鉄道」と「篠ノ井線」の電車が長野駅まで同じ線路を走っていることに気づき不思議でした。後日「しんぶん赤旗」の記事(4月5日づけ)でその疑問が解けました。
 しなの鉄道は長野新幹線開業(1997年)に伴い並行する信越線・軽井沢〜篠ノ井間65.1キロをJR東日本から引き継いだ会社で、JR東日本は乗客の半分を占める篠ノ井〜長野間9.3キロの経営権を譲渡しなかったための相互乗り入れの運用になっている。しなの鉄道の経営は黒字だといっても地元の自治体が支援して支えられている格好とのこと。一番乗客が多いところは運営できないとはひどい話で、地元では2014年開業予定の長野ー金沢間の北陸新幹線で「並行する在来線・上越地域がどうなるのか」との不安があがっており、地域社会を守る公共交通の在り方が問われているのでないかと思いました。

○妙高・黒姫高原はみぞれまじりの冬景色

 長野駅午前8時12分発の信越本線の快速列車「妙高」で直江津へ向かう。
 長野を出てからしばらくすると天候は曇り空から、みぞれ交じりの天気になってきました。車窓からは一面残雪の田畑が広がり雪景色で、天気がよければ黒姫や妙高などの山々見えてくると思うと残念でした。

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               信越本線「冬景色」

 直江津までの車窓で唯一、カメラに収まったのは「二本木」駅というスイッチバックの駅です。後から分かったのですが、今度の2日間のローカル線の旅で
JR東日本にあるスイッチバック駅は、昨日の篠ノ井線の姨捨駅とここだけとのことでした。新潟県の直江津駅は「きっと、さびしい駅でないか」と思っていましたが、意外と商業都市として発展している印象でした。
 直江津9時46分発の富山行きの北陸本線(米原〜直江津間353.8キロ)に乗車。列車は「谷浜」あたりから日本海の寒々とした海岸沿いを一路「糸魚川」に向いました。富山まで113キロとの道路標示を見つつ何気なく車内に目を移すと、荷物置きの棚がなんともおかしな感じがして頑丈なつくりだったので、持参していた鉄道の全路線「北陸本線版」の本をめくると、この電車は「切妻形スタイルの419系電車」で、昭和60年ころまで北陸本線を走っていた元寝台特急電車の改造版として登場したということが書いてありました。私が車内構造というか天井の形が変に思ったのは当然だったのです。

○糸魚川の赤レンガ倉庫

 糸魚川に着くと南小谷や白馬方面への大糸線へ乗り換えの人たちや鉄道ファンがカメラ片手に特急電車やめずらしい車両などを選んで写し撮っていました。私も北陸新幹線の開業後に存続が危ぶまれている糸魚川駅構内の赤レンガ倉庫をカメラに納めました。
 この赤レンガ倉庫は1912年に作られもので約100年の歴史を刻み、新幹線の工事が間近まで迫っていた。2014年の新幹線金沢延伸時までに撤去予定とのことだが、壊してしまうにはおしいと誰もが思うでしょう。
 次の乗り換え駅である富山駅に11時50分に到着。30分ほどの時間を利用して昼食をとることにしました。富山の駅弁はぶりのすしと相場はきまっていますが、私は生もの類が苦手で、駅ビルの2階の小さな喫茶店でコーヒーとサンドイッチを食べることにしました。ぶり寿司好きの人から見れば「アホか」といわれるでしょうね。
 富山駅からは高山本線(岐阜〜富山間 225.8キロ)で美濃太田まで普通列車で乗り継いでいく計画で当初は13時すぎの列車で猪谷まで行く予定を変更して、12時21分発の猪谷行きの普通列車に乗ることにしました。
 1両だけの電車で学生の帰宅時間と重なっていたのか、車内は満員だ。途中、「越中おわら風の盆」(毎年9/1から9/3開催)で有名な、越中八尾駅などで乗客を降ろし、猪谷に着く頃には乗客も減ってしまいずいぶんと寂しくなっていました。
 猪谷駅では次の高山方面の列車まで1時間半ほどの待ち合わせ時間がありました。私は雨交じりの駅ホームに立ち、少し駅周辺を散策することにしました。

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                 1912年生まれの赤レンガ倉庫         

○産業の衰退が、村の衰退へ

 富山県と岐阜県の県境となる「猪谷」は富山県に位置し、神岡鉱山で産出される亜鉛などの輸送に活躍した神岡線の始発駅でした。駅前には「公害病イタイイタイ病」で有名になった神通川が流れていました。
 この神岡線は、2006(平成18)年12月で廃線となり、いまはその面影もなく、猪谷駅から高山方面を眺めると最初のトンネルが2つ並んでいて、その一つが神岡線のトンネル跡です。駅前近くにある記念館を発見。江戸時代に飛騨街道の関所が置かれていた猪谷関所館に立ち寄ってみました。入場料150円で館内は5つのテーマ展示と企画展示コーナーがあり、古くから「人、ものが行き交う 西猪谷関所」「荷馬車から鉄道へ」など神岡鉱山の繁栄に伴い人と荷物の輸送が変遷していった様子が展示されています。日本海側と太平洋側を結ぶ高山本線が開通(1934年全通)すると、猪谷駅は物流の拠点として日本の近代産業を支える役割を担っていたと記されていました。
 駅前には、1軒の酒店とその向かえ側に魚から肉や野菜、漬け物類やカップヌードルまで扱う「何でも屋」の店が1軒あるだけです。駅の真ん前の土産物店らしき建物は誰も住んでいないようでした。
 「何でも屋」のおやじに地元の何か名物を買いたいがというと「何にもない」、「この店も、次にお客さんが来たらなくなっているよ」との返事でした。駅のそばの神岡鉱業の職員住宅と閉鎖された学校見たあとだったので「大変ですね」というのがやっとでした。

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                       寂しい感じの猪谷駅

 駅のホームから「神岡鉱業」という4階建てのアパートを2棟見ることができます。閉山後は人影もなくすべて空き家です。4年前に神岡鉱山の閉山と共に、そこに住んでいたであろう人たちがくらしを変えるために引っ越していってしまったのだろうと想像すると何か急にむなしくなってしまいました。
 一つの企業の閉鎖が村のくらしや地域生活そのものを激変させてしまうという現実に直面し、この国のありようについて考えざるをえない心境になりました。
 強い者のみが生き残り中小零細事業者はなくなってもよいのか。そんな産業政策でこの日本はほんとうに健全な社会を構成していくのだろうか。もっと地域ごとの産業や文化を大切にして起業と事業の継続に国の予算を向けるべきと思いました。

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                     人影もない神岡鉱業の職員住宅

 ○懐かしく、そして新しい発見

 14時58分に猪谷駅を出発。高山駅を過ぎて飛騨一ノ宮駅を過ぎると木曽川水系と神通川水系を分ける分水嶺の宮トンネルにさしかかります。列車は、昔、若いころにスキーで降りた記憶のある久々野駅などを走り抜けて下呂駅までなだらかに下っていく感じでした。温泉と観光地で有名な下呂も乗り過ごし、猪谷から美濃太田駅まで161.9キロという区間を一個列車で走りぬける長い長いローカル線でした。この距離は、私が機関士のころに特急で走った大阪までの距離と同じくらいの距離を各駅停車で走っていることになります。それはそれはのんびりとした列車でした。
?美濃太田駅から太多線に乗り継ぐ頃には、周りはすっかり夜となっていました。見慣れた多治見駅に19時37分に到着して、中央線の列車に乗った頃には腹が減ってきていたので、鶴舞駅に20時10分に到着してすぐにラーメンを流し込みました。朝早くから列車に乗り込んで、約13時間の旅は終わりました。
 二日間で走破した路線は9路線。通過したり立ち寄った県は、スタートの愛知県に始まり、静岡、長野、新潟、富山、岐阜の6県で走行距離約800キロに達しました。旅をしてあらためて気づいたのですが、日本のいたるところに山あり、海あり、小さな町があり、産業があり、線路にまつわる歴史があり、そのどこにでも人の暮らしがあるのです。当たり前のことに気づかせてもらいました。その一つ一つを大切にしていく社会を大事にしたくなりました。どこか懐かしい、新しい発見の旅でした。

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