西野喜一「裁判員制度の正体を読む」3 豆電球No.50
2008年3月18日
西野喜一「裁判員制度の正体を読む」3
(日本の刑事司法の問題点の続き)
日本の刑事司法の問題点は、前回で述べた冤罪の多発、取り調べの密行性、公判の形骸化の外、次のような問題もあった。
刑事訴訟法は、被告人が、たんなる取り調べの対象ではなく、当事者として検察官と対峙し、訴訟活動を行うことを前提としている。これを当事者主義という。
そのためには、起訴後、できる限り早い段階で被告人が保釈されることが極めて重要である。
ところが、日本の刑事裁判では、否認している被疑者については、なかなか保釈が認められず、これが弁護人との打合せや公判準備等の障害となっていた。俗に人質司法といわれる問題である。
また、証拠開示の不十分さである。捜査機関が集めた証拠の中で、検察官は、自ら立証に必要と判断したもののみを証拠として提出し、被告人に有利な証拠は 出さない。その存在を指摘して証拠開示を求めても、検察官はなかなか提出に応じない。また、そもそも、捜査側がどのような証拠を保持しているかが具体的に 特定できないため、証拠開示を求めることができない場合も多い。具体的な特定をしなくても、一定の類型の証拠について包括的に開示を求める制度が欠落して いたためである。
日本の刑事裁判の問題点の一つに、犯罪被害者に対する配慮が欠落していたという点である。近年の法改正で、ようやく犯罪被害者の意見陳述の機会の確保、プライバシーの保護等が図られてきた。
私は、以前、別の機会に、公判の情状立証において、弁護人側からの情状立証は、被告人の家族の証言や被告人質問等が行われているにも関わらず、検察官か ら被害者の証人尋問等が申請されることは稀であり、業務上過失致死や殺人事件等の重大事件でも、被害者や遺族の言い分は供述調書だけで済ましてしまう傾向 があったことを指摘し、これを検察官の怠慢と評した。私は、先輩から、「全ては、被害から始まる」「現場を大切にせよ」ということを教え込まれた。公害事 件然り、労働事件然り。ところが、刑事裁判では、肝心の犯罪被害の実態が法廷に十分反映されていない。被告人に対する寛大な処罰を求める弁護人としては、 それは歓迎すべきことかもしれないが、私は、国民として、あるいは司法制度の改善を求めるべき一弁護士として、疑問を抱いていた。
検察官も、裁判官と同様、刑事事件はルーティーンワークになってしまう傾向があった。一部の公判検事には、「被害者とともに泣く」姿勢は欠落ないし不足していたのではないか。
官僚司法の弊害が、ここにもあらわれていたと思う。