西野喜一「裁判員制度の正体」を読む4 豆電球No.51
2008年3月24日
西野喜一「裁判員制度の正体」を読む4
日本の刑事司法、刑事裁判が持つ問題点を是正、改革していく上で、司法制度改革の一環として導入された裁判員制度等と引き続く一連の刑事司法改革の動きは、極めて重要な意味を持つものである。
まず、司法制度改革審議会の答申に基づき、捜査段階における弁護人関与の強化のため、被疑者国選弁護人制度が創設されたことである。これは、長年の弁護士会の悲願とも言うべき成果であり、画期的であったと言って良い。
残念ながら、一部の地域での弁護士不足のため、直ちに全面的な被疑者国選弁護人の導入には至らず、まずは一定の法定刑以上の事件についてのみ導入されたが、09年度には全ての被疑者に国費で弁護人を付ける制度の運用が始まる見込みである。
第2に、西野氏が反対する裁判員制度の創設である。
裁判員制度により、裁判官の専門性と幅広い階層から無作為抽出で選ばれた国民の代表である裁判員の良識を反映させることにより事実認定と量刑の判断を行うことになる
この点では、裁判員制度は、日本的な特色を持つ独特の制度設計がなされたことを見る必要がある。裁判員制度は、裁判官が事実認定に参加するという点等に おいて陪審制とは異なるが、裁判員が6名とされ、裁判官の2倍の員数が確保された点などは欧州の参審制とも異なるのであり、専門家である裁判官と国民の代 表である裁判員との協働をめざすものである。
従って、裁判員制度は、常に、右と左の両方からの批判がなされることになる。国民の裁判参加に反対する立場からは、裁判員が評決に加わること自体に反対 したり、裁判員の数が多すぎることに批判が加えられることになり、逆に陪審制を求める論者からは、専門家である裁判官と素人である裁判員が対等な評議がで きる筈がない、官僚裁判官の問題を覆い隠す「イチジクの葉」に堕するに違いない等という批判がなされることになる。
しかし、私は、日本では刑事裁判への国民参加が導入されるのは初めてであること、厳格な倫理と専門知識を持つ職業裁判官の役割を評価すべきであること等から、職業裁判官3名、裁判員6名という裁判員制度の基本的な制度設計を支持したい。
また、裁判員制度は、事実認定と量刑判断に国民の良識を反映させるというだけでなく、形骸化した公判の活性化、調書司法から直接主義・口頭主義という本来の刑事裁判の再生に道を開く可能性がある。
裁判員制度の意義を評価する上では、たんに刑事裁判の事実認定の改善という見地だけではなく、司法の民主化、刑罰権力という国家権力に対する国民による監視と統制という見地からの検討が不可欠である。
多少、専門的になるが、是非、読者に一読を勧めたいのが、岩波講座憲法?「立憲主義の哲学的問題地平」に収められた論文「権力分立原理は国家権力を実効的に統御しうるか」(瀧川裕英)である。
瀧川氏は、刑罰権力をどのように統御するのかについて、「分離・公開・参加」をキーワードに挙げ、次の通り述べる。
「第2に、第三者機関による監視が必要である。(中略)それは、視察と意見による統御である。換言すれば、公開性と説明責任である。実質的権限を持たな い第三者に見られていること、これによって権力を統御するメカニズムは、統治のコントロールにおいてますます重要になってきている
第3に、国民参加の契機が活用されている。検察審査会制度は基礎権力の統御方法である。また、2009年から開始することが予定されている裁判員制度 は、国民参加による裁判権力の統御技法である。しかも、裁判員は、モンテスキューのいうように『常設』ではないので、権力の通時的分割(あるいは項目的分 割)により裁判権力を統御する技法も組み合わされている」
裁判員制度は、心証形成過程を含む刑事裁判の公開を一層広げるものであり、刑罰権力の行使を可視化し、国民の代表による監視機能に期待するものとして位 置づけられると思う。すなわち、審理と評議の場に国民の代表が参加することにより、有罪か無罪か、量刑はどの程度が妥当かを決める心証形成過程が可視化さ れる(ただし、裁判員の守秘義務は極めて重く、その点で公判の公開とは異なる)。評議では、裁判官は、その判断について、当然、説明責任が求められること になろう。
このような意味で裁判員制度は、司法の民主化と刑罰権力の統御という課題のための第一歩になりうると考えられる。
裁判員制度の導入は、捜査過程にも大きな影響を与える可能性がある。現在、参議院に取り調べ過程の可視化を求める法律案が上程されているが、取り調べの ビデオ録画が政治課題にのぼり、本格的に議論されること自体、極めて重要な前進である。現在、ビデオ録画の範囲をめぐって警察・検察庁と日弁連は鋭く対立 しているが、志布志選挙違反無罪事件のような冤罪事件の多発の背景には、取り調べに置ける自白の強要があることは明白である。取り調べの全過程をビデオ録 画すべきであると考える。