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事務所だより

若者に読んでほしいサイバラ流「カネ」の話 豆電球No.82

2009年5月12日

若者に読んでほしいサイバラ流「カネ」の話

サイバラは、美大合格をめざして立川の美術専門の予備校に入学するが、シビアな現実が待っていた。予備校では、上手な方から作品が展示されるが、サイバラの書く絵は、「いちばん最後の最後」。要するにビリであった。しかし、サイバラは負けない。
その後は、サイバラの東京での奮闘、サクセスストーリーとなる。エロ本の挿絵も描き、報酬を踏み倒されながらも次第に自分の作風、個性的なイラストを完成させ、売れっ子となっていく過程がおもしろく描かれている。転んでもたたでは起きない、逆境をバネにするたくましさは実に凄い。
ここでは、「自分探し」という訳のわからない言葉が流行し、自分の居場所がみつからないとか、「自分の夢が実現するような仕事ではないから」といって転職を繰り返したりする若者たちへの西原流のエールがちりばめられている。「大変だね」って安易に同情するんじゃなくて、経験に裏打ちされた言葉でさりげなく叱咤激励している。
以下、サイバラが血がにじむような経験から掴み取った箴言である。

(1)まず自分の実力を知ろう!
「何かをやり始めた時、誰もが最初にぶち当たる壁は、自分の実力を知らなきゃいけないってことだと思う」
「おーし、上等じゃないの。こうなったら最下位だろうと何だろうと、しぶとく頑張ってやる!」

(2)才能とは?
サイバラは、「才能があるかどうかなんて、机の前でいくら考えたってわかるもんじゃないと思う。私にとって才能があるというのは、それでちゃんと金が稼げるということだった」という。
どうしたら夢がかなうかって考えると、全部を諦めてしまいそうになるけど、「どうしたらそれで稼げるか」って考えてごらん。
そうすると必ず次の一手が見えてくる。
「才能なんて、だから天賦のものではなくて、ほとんどあとからもらったものだと思う」
「自分に向いている仕事がないって言う人がいるけど、食わず嫌いしていることも、あるんじゃないかな。やってみなけりゃわからない。そんなことって、この世界には、いっぱいあるからね」
「才能っていうのは、そんなふうに、自分だけではわからない、見えていないものだと思う。自分で「こうだ」と思いこんでいることって、案外、的はずれだったりするからね。
何でも仕事をはじめたら「どうしてもこれじゃなきゃ」って粘るだけじゃなくて、人が見つけてくれた自分の良さを信じて、その波に乗ってみたらいい。
だから私は思うのよ。『才能』って人から教えられるもんだって」

(3)最下位の戦い方がある!
「最下位の人間に勝ち目なんかないって思う?そんなの最初っから負け組みだって。
だとしたら、それはトップの人間に勝とうと思っているからだよ。目先の順位に目がくらんでたたかう相手をまちがえちゃあ、いけない」「最下位の人間には、最下位の戦い方がある!!」
「最下位の人間がでっかいハードルを最初っから設定してどうする?私は、絵を描くことを仕事にしたい、絵を描いて自分の絵でかねを稼げるようになりたい」

(4)プライドは役にたつか。
「プライドでメシが食えますかっていうの!」
「私に言わせるなら、プライドなんてもんはね、一銭も銭にならないよ。

(5)働くって何??
「働くっていったいどういうことだと思う。
子供の頃から見たら、大人の世界はすごく大変そうに見えて、何だか『感じが悪い』って思っているかもしれない。
でもね。身近な大人から聞いてごらん。初めて給料をもらったときのことを、お風呂付きの部屋に引っ越した時のことを。
きっと、ちゃんと覚えていると思うよ。だって、それは、働いて稼いだ自分のお金でつかんだ「しわあせ」だから。
そう考えると、大人って、自分が働いて得た金で、ひとつひとつ『自由』を買っているんだと思う。

(6)後戻りしないってまず決めること!
「ふるさと この仕事で食べていくことができないなら、またあの場所に逆戻りだと思うから、どんな仕事だって引き受けることができた。引き返せない力を、私のふるさと、生い立ちはくれたと思う。
今、いるところが嫌だって思っても、いつかその気持ちが必ず、自分の力になる。
今いるところがどうしても嫌だったら、ここから絶対に抜け出すんだと心に決めるの。
そうしたら、どんなたいへんなときだって、きっと乗り越えることができる」
「たまたま配られた札がぜんぶマイナスだったら、それをいつまでも嘆いていたっ てしょうがないよね」

(7)「自分の居場所がない」?カネという視点からシンプルに考えてみて!
「どこかに、自分のしっくりくる世界がきっとある。
もしないんだとしたら、自分でつくっちゃえばいい。働くっていうのは、つまり、そういうことでもあるんじゃないかな。
仕事っていうのは、そうやって壁にぶつかりながらも、出会った人の力を借りて、自分の居場所をつくっていくことでもあると思う。
「自分がやりたいことがわからない、なんていう悩みが、これほど日本中をおおうだなんて、そのころのいったい誰が予想しただろう。
豊かさが出現してしまったら、今度は「人はなぜ働くのか。どうして働かないといけないのか」。
でも、こんな風に考えてみたらどうだろう。「やりたいことがわからない」という問いに向き合うためには、カネという視点を持つのが、一番、シンプルに見えてくるものがあるんじゃないのか。

今回の豆電球は、少し長くなってしまいました。これからは、もっとシンプルに、肩の力を抜いて気楽に書いていくことにします。

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