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事務所だより

沖縄独立? 豆電球No.6

2006年1月25日

沖縄独立?

「世界」の一月号に、「沖縄処分に反対する」という特集が組まれていた。何のことかと思って読んでみたが、実に考えさせられる特集だった。

ここに言う「沖縄処分」とはなにか。現在、進められている米軍再編計画(「日米同盟・未来のための変革と再編」という名である)は、沖縄の負担の軽減と抑止力の維持という建前であるが、結局は沖縄の中での基地のたらいまわしであり、それどころか基地機能の強化、米軍基地の永続化をもくろむものであり、そ れはまさに日米政府の合作による「沖縄処分」に他ならないという。それは、沖縄県民の意思を完全に無視したものである。

周知のように、米軍再編では、騒音問題等で移転が決まっている普天間基地に替わり、キャンプシュワブの辺野古沿岸部に新たな滑走路を建設して移設すること が提起されている。これに対しては県民が強く反対しているが、小泉内閣は、一時期、公有水面の埋め立ての許認可権限を県から国に取り上げる強攻策まで検討 したようだ。

知念氏の「なぜ基地の平等負担はできないのか」、森口氏の「沖縄の公憤」も衝撃的である。知念氏は言う。政府に協力的な姿勢を取ったことがある稲峰知事ですら「これまで過重な基地負担をしてきた沖縄県が、なぜ、これからもこのような安全保障の代価を払い続けていかなければならないか、理解できない。そのよ うな方法でしか日本の安全保障を考えられないのか。説明が必要だ」と言っている。いったい、沖縄の人々の過去60年間の忍従は何だったのか。

知念氏は、「日本人は、沖縄差別をやめ、平等を実現すると決意して、まず沖縄から基地を持ち帰り平等負担することを安保賛成派、安保反対派に働きかけるこ とだ。(中略)そのやり方を通して、他者を犠牲にして成り立ってきた日本人というあり方が浮かび上がってくるはずだ」と述べている。また、「沖縄には年間500万人の観光客が来る。沖縄の人々は、基地を目の当たりにすれば、沖縄人の苦悩を理解するだろうと期待した。しかし、その多くは大変ですねという言葉 はかけるが、日本に帰ると、ほとんどが沖縄犠牲政策の党に投票し、せずとも政権を転覆しない」「沖縄人の立場からは、日本人の安保賛成派も反対派もあまり 替わらないように見える」とまで述べている。

日米両国政府が米軍再編を強行しようとしている中で、沖縄県民の中には、そして良識ある人々の中に、琉球独立のイメージが膨らんでいるという印象を受けた。

知念氏らの発言については、沖縄の人々の間でも異論があるだろうし、米軍再編と基地強化は本土の米軍基地でも行われるのであり、本土と沖縄の県民が連帯して米軍再編に反対することこそ重要であるという批判も成り立つと思う。特に、神奈川件の座間基地、山口県の岩国基地の強化は大変な問題だと思う(この点は改めて取り上げたい)。しかし、私は、沖縄の人々の中に、本土には安保に反対し米軍基地に反対する人々が多数いることを百も承知の人たち、知識人のなかにおいてさえ、こうしたイメージが膨らみ始めていること、そして痛切な声が上げられている事実を、本土のわれわれが(ヤマトンチューと言っておこう)重く受 け止めなければならない、と思うのだ。

私は、95年に起きた沖縄での米軍兵士による少女レイプ事件の時に強い衝撃と怒りを覚えた。そして、米軍基地のための土地取り上げのための代理署名を拒否 してたたかう太田知事の姿勢に感銘を受け、当時、自由法曹団愛知支部の事務局長をしていたこともあり、積極的に様々な取り組みにも参加し、愛知県の劇団関係者等と協力し、この問題を取り上げた演劇「弥勒世や やがて」を鶴舞の勤労会館で上映する運動にも取り組んだ。おそらく、あの事件が起きた頃、太田知事のたたかいに共感し、支援した日本人は少なくなかったはずだ。しかし、あれから10年が経過したが、沖縄の問題は何一つ解決していないどころか、新たな基地強化、そして米軍基地の永続化が押し付けられようとしているのである。
日本人の中に、「本土の平和と繁栄のために、日米関係のために、沖縄に我慢してもらうしかない」という考え方が、浸透してはいないか。沖縄は地政学的にも キーストーン位置にあり沖縄の米軍基地の縮小はアメリカも飲まないだろう、という気持ちがないだろうか。私たちは、もう一度、沖縄の人々の声に耳を傾ける べきではないのか。

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