晩秋の石津山、多度山を歩く 豆電球No.76
2008年11月26日
晩秋の石津山、多度山を歩く
勤労感謝の日に、石津山から多度山へのハイキングコース(縦走路)を歩いた。
濃尾平野の西になだらかな山容を見せている山である。多度山は、何本もの鉄塔が建っており、平野からも良く見える。
天気は快晴。雲一つないという形容がぴったりの好日であった。
近鉄桑名駅で三岐鉄道に乗り換え、石津駅に向かう。ガイドブックでは、近鉄線となっていたが三岐鉄道という別会社になっていた。過疎化の影響だろうか。
石津駅から、石津御岳に向かうアプローチは、ミカン畑が続いており、鈴なりになった蜜柑の色が鮮やかだった。前日、プライベートな面でちょっとしたアクシデントがあり、鬱屈としていたが、快晴の青空と暖かい蜜柑色で気分が少し明るくなる。芥川龍之介に「蜜柑」という私の好きな小品があるが、それを思い出す。
古くから石津神社は修験道であったようで、山頂にある神社に登山道が上がっていく。
入り口には、「○○霊神」と刻まれた石碑が数柱あり、「○合目」という石造りの標柱が立っている。
道は整備された登山道であるが、入り口から急登の連続で、すぐ汗だくになる。しばらく行くと、木立の間に広場があり、「21世紀展望の森公園」とかいう名前がついていた。後ろを振り返ると、濃尾平野、揖斐川、長良川、木曽川の木曽三川の展望が広がっている。
そこから、更に30分程登る。途中に「○○霊神」の石碑が数柱立っているってところで、お年寄りがお孫さんと石碑を修繕する作業をしていた。お祖父さんによれば、石碑は、墓石ではなく、地蔵さんのようなものだから修繕しても大丈夫なんだということであった。標高640?の稜線に出ると、石津御岳神社の小屋、鳥居が立っている。
このように石津山というのは、その全体が石津御岳神社という感じなのである。
ここで少し脱線する。
日本では集落が尽きるところにお地蔵様が立ち、山の頂や懐に神社がある所が多い。石津山、多度山はその典型であると思われる。祀られているのは、「神様」ということになっている。
「神さま」というのは「上さま」から来たというのが、本居宣長の説であると聞く。
山のふもとや頂き、沢の上流、すなわち「上(かみ)」に霊的な存在を想定する。
森元総理大臣は、「日本は神の国」と発言して辞任に追い込まれた。政教分離、日本の国家神道の苦い歴史に照らせば、総理大臣がそうした発言をするのは全く不適切であるが(最大の問題は、歴史認識の分野にある)、日本文化の特徴として、あるいは日本人の習俗感情の指摘として限定するなら、「日本は八百万の神々のいます国」という指摘は間違いではない。日本で言う「神」というのは、キリスト教のGODのような絶対的存在ではなく、もともとは氏族社会の名残のもとで、自分の「上(かみ)」、すなわち祖先を等しく「上=神」として崇めたというところから発している。先祖は、すなわち生前は人間であり、自分たちと対等の存在である。その先人達を崇めるというのが、日本人の原初的な宗教感情であり、世界の創造主、人間を超越する存在を崇拝するキリスト教とは世界観を異にしている。
そして、人間は死ぬと霊になり、山に昇ると信じられている。霊は、最初は荒ぶる霊であるが、次第に浄化され、精霊になって共同体を守ると信じられていた。そこで、山のふもとや山頂に社が立てられた。
石津山という山は、こうした日本人の心象風景、習俗といったものを改めて感じさせ山であるる。