映画『GAMA 月桃の花』を観て
2010年4月26日
4月24日ウィルあいちホールにて行われた映画『月桃の花』の上映会に参加しました。最初にこの映画の題名を聞いたとき、どこかで聞いたことがあるなぁと考えてみたら、もう10年前になりますが、高校2年の沖縄修学旅行の前に事前学習で観たのが、まさにこの映画でした。正直映画の内容は、あまり覚えていませんでしたが、実際に沖縄に行ってガマ(沖縄で「鍾乳洞」の意−戦争の際、避難民の最後の砦として使われた)に入り、蒸し暑い湿気の中、持っていた灯りを全て消して真っ暗闇の中で戦死者の方々に黙とうを奉げた記憶がよみがえってきました。
映画の内容は、太平洋戦争中、日本で唯一地上戦が行われた沖縄の惨状を、一人の平凡な母親(宮里房)の目をとおして描いています。房は、72歳になって、自分の孫であるアメリカ人ハーフの青年が、彼の誕生のルーツを知るために訪ねて来るまで、誰にも当時の話をすることができませんでした。その当時の状況、特に最後に逃げ込んだガマでの恐ろしい体験は思い出すことは、彼女にとって気が狂ってしまいそうな程辛いものでした。
映画を観ていく中で、次第に高校生の時に、地元の方の戦争体験の話を聞いたりして学んだことを思い出していきました。そして、当時も今も強く印象に残ったことは、沖縄の人たちにとって、戦争中、敵はアメリカ軍だけではなかったということです。どこに行っても安全で食糧がある場所は日本軍によって占領されていて、せっかく見つけた避難場所も日本軍によって追い出されてしまうという過酷な状況があったのです。日本軍は彼らを守るどころか、逆に命を脅かす存在だったのです。
映画の中でも終盤に、とうとうアメリカ軍にガマの入り口を包囲され、戦争は終わったから抵抗せずに出て来なさいと促されるシーンがあります。しかし、そのガマを仕切っていた日本軍の隊長は、玉砕を選択し、避難民に自決を迫ったのです。実際に当時、『アメリカ人は野蛮で、捕まれば男はなぶり殺しにされ、女は乱暴されて殺される』という誤った教育がされていたために、屈辱的な殺され方をするよりはと、多くの沖縄民が日本軍から渡された手榴弾で集団「自決」を選んでしまったそうです。
戦争がもたらす悲劇は、昨日まであった当たり前の日常を壊してしまうこと、また戦争がなければ負うことのなかった傷を、人に負わせてしまうことだと思います。この作品でも回想シーンで、房の結婚式の様子や、家族四人が一家団らんで沖縄の郷土料理を食べているシーンが出て来ます。何気ないシーンですが、戦争さえなければ幸せな生活を続けていられたのにという悔しい思いを強く感じさせられました。
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4月25日 事務局員 S