映画『明日へ紡ぎつづけて』を観て 豆電球No.96
2009年10月8日
たたかいの糸は今も――
9月26日、名古屋市北文化小劇場にてドキュメンタリー映画「明日へ紡ぎつづけて」(監督山本洋子)を観た。
この映画は、昭和30年代から40年代、繊維産業で働く女性労働者たちの労働現場の実態に迫ろうと、名古屋市、一宮、尾西、津島市、岐阜県大垣市、岐阜市等の繊維産業で住み込みで働いた女性たちを探し出し、丹念に取材したドキュメンタリー映画である。
昭 和30年代から40年代といえば、私が生まれ少年時代を過ごした時代であるが、まず驚かされるのは、日本国憲法や労働基準法が成立した後であるにも関 わらず、当時の女性たちが非常に劣悪な、場合によっては前近代的な労働条件のもとで働かされていたということである。一日10時間以上という恒常的な長時 間労働、深夜勤務を伴う交替制勤務、ケガをしても労災補償もない、経済的自立など到底不可能な低賃金。生理休暇も取れず、満足な食事も提供されない。
さらに驚きなのは、愛知や岐阜の繊維産業では、九州、沖縄、新潟等の田舎から集団就職で働きに来る女性たちが働き手であったため社宅に入ることになるが、社宅では舎監の監視がつき、親書も開封され、休日の出入りまで監視されるという有様である。
繊維産業は、戦前は日本の近代化を支えた基幹産業であり、戦後も重化学工業、自動車、電機、機械産業等に取って替わられるまでは日本経済の重要な産業分野であった。その根底には、こうした女性労働者たちによる過酷な労働の搾取があったことを改めて知ることができる。
同 時に、この映画の魅力は、「女工哀史」「ああ、野麦峠」等とは異なり、搾取される者としての女性労働者という側面にとどまらず、人間としての尊厳、働 く者の誇りを取り戻そうと立ち上がり、労働組合運動に参加していく姿が描かれていることである。女性たちは、賃金を上げて欲しい、生理休暇を保障せよ、社 宅では私生活の自由を侵害するなといった当たり前の要求を持つのだが、企業はそれを簡単に認めない。そこで、女性たちは憲法で保障された団結権を行使し、 組合活動に参加していくことになる。当時の映像を見ると、何よりも組合活動に若い女性たちがいきいきと参加しており、その目がきらきらと光り輝いているの がとても印象的だ。当たり前の要求から出発しながら、名古屋大学の学生や教授たちの援助も受け、労働者とは何か、社会の富、価値を生み出す源泉はどこにあ るのか、組合とは何かを学び取っていく姿も清冽である。
三つ目に印象的であったのは、いわゆる「アカ」攻撃というものの本質が、わかりや すく描き出されていることである。組合の中心を担う活動家に対し、会社 側は「アカだ」と決めつけ、他の労働者との分断を図る。その活動家と接触するなと呼びかけ、第二組合を作り、職場で孤立させるだけでなく、ふるさとの両親 に働きかけ、活動をやめさせるよう説得させる。「チチキトク」(※父が危篤)という電報が来たため、急いで帰宅してみると、嘘であり、会社から連絡を受け た親が娘を半ば軟禁し、「組合はアカだ」として組合活動を辞めるよう強要する。
いつの時代でも、「アカ」攻撃というのは、国民が当然の権 利を求めてたたかおうとする時、その分断のために用いられる常套手段である。戦前は、「戦争に 反対するやつはアカだ」「天皇制に反対するのはアカだ」と言われた。実際に弾圧されたのは、共産党員だけでなく、社会民主主義者、良心的な言論人・知識 人、キリスト教関係者等であったことは周知のところである。
映画は、こうした企業側の分断攻撃を受け敗北した労働争議をリードした当事者の 痛切な思い、それを跳ね返し、裁判闘争に持ち込んで勝利した感動的なエピ ソード等を交えながら、たたかってこそ労働者の権利は前進すること、たたかいには分断と妨害を計ろうとする動きが不可避であり、それを跳ね返す中で労働者 の人間的な連帯が生まれ強まっていくということを、観る者に問わず語りに示すものになっている。
この映画の上映会は、今後も各地で行われる予定と聞く。是非、一度ご覧いただきたい。