山田洋次監督の「おとうと」 豆電球No.106
2010年2月18日
山田洋次監督の「おとうと」
映画「おとうと」を見ました。蒼井優が出演し、山田洋次が監督とあらば、これは見逃せません。夫と死別し、小さな薬局を経営しながら一人娘の小春(蒼井優)を育ててきた吟子(吉永小百合)、芝居役者をめざしたが成功せず、たこ焼きで生計を立てている弟鉄郎(笑福亭釣瓶)の物語です。
映画は、まさに山田洋次監督らしい作品に仕上がっています。
家族というつながりの持つあたたかさ、かけがえのなさを現代社会の矛盾の中で描き出すというテーマ設定、吉永小百合や森本レオ、佐藤蛾二郎といった配役。どうしようもない風来坊のような人生を送りながらも、周囲の人間を笑わせ明るい気持ちにさせる鉄郎は、フウテンの寅二郎に似ています。民間ホスピス「みどりのいえ」の窓から見える大阪通天閣と満月、桜吹雪の美しい風景描写、雨上がり後の腫れ上がった空のようなエンディング。
鉄郎は、お金も身寄りもない人たちのための民間ホスピスに吟子は泊まりがけで看病します。呼吸が苦しくなり声が出せない鉄郎が、ベッドの隣で仮眠する吟子を起こすために結んだ色鮮やかなピンクのリボンは、まるで「幸せの黄色いハンカチ」のラストシーンを彷彿させる演出です。
家族愛というものを軸にしながら、疲弊していく商店街、川岸でビニールシートで生活するホームレス、高齢化、核家族化の中での人間の死のあり方といった問題に光を投げかけているのも、山田監督らしいと思います。
いつも思うのですが、山田監督の描く人間の姿は、現代にあって希有なものです。
山田監督の映画に登場する人たちは、豊かな人は少なく、普通の市井に生きる庶民が多いです。報われないけれど、一生懸命働き、お互いに助け合いながら生きています。「馬鹿」という言葉がつくほど、正直者が多い。吟子は、その典型です。まさに、清く正しく美しい、吉永小百合が演じるべき役と言って良いでしょう。幼い頃から非行を繰り返し、夫の13回忌や娘の結婚式すらめちゃめちゃにされてもなお弟を思いやります。大阪で鉄郎に130万円を騙し取られたという水商売風の女性が130万円の借用書をもって「何とかしてほしい」と懇願にくるシーンがあります。吟子は、薬局の改装費用に取っておいたなけなしの預金を払い戻してこれを返済するだけでなく、女性を思いやる言葉をかけます。後日、鉄郎が女性のことを罵倒すると、人格を傷つけるようなことを言ってはいけないと鉄郎の頬を叩いて叱りつけます。お人好しというか、「お馬鹿さん」と言うべきか。そんな人物は、吟子だけではありません。加瀬亮が演じ、小春と結ばれる大工も、高野薬局を取り巻く近所の住民も、多かれ少なかれ、そんな「お馬鹿さん」ばかりです。
小日向文世と石田ひかり演じる夫妻が運営する民間ホスピス「みどりのいえ」は、実在の施設を取材しているそうです。末期癌等で余命幾ばくもない人たちを、一人一人の意思を大切にしながら、ていねいに看取っていく施設です。競争、効率性や打算に支配された現代社会の片隅で、何の見返りも期待することなく、誰でも分け隔てせず、命を大切にしながら、一人ひとりの意思を尊重し、助け合っていきている世界が成立している姿は、まるで奇跡のようです。映画の冒頭、小春の結婚式に登場する大学教授や医師たちのいわばハイソサイエティの世界の見栄や虚飾、人間性の貧しさが皮肉を込めて描かれていますが、それとは対照的です。山田監督の映画には、マンネリといった批判がついてまわりますが、その確固とした人間観のあたたかさを私は信頼し、共感します。
それにしても、小春役は、蒼井優にぴったりでしたね(ウェデングドレス姿には息をのみました)。