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事務所だより

卒業式 豆電球No.47

2008年3月6日

卒業式

2月29日、次女の通う高校の卒業式に出席した。2月如月に卒業式というのも違和感はあったが、1日が土曜日なので繰り上げたのだろう。
午前9時に体育館に入ると、沢山の父兄、保護者が来ていた。私は最前列に座った。
体育館は、暖房はなく、底冷えがする。バスケットボールのゴール、ネット、垂直跳びの計測器等が見えた。ここで、体育の授業を受けたり、いろんなセレモニーをやったのだろう。娘は卓球部だったから、ここで練習したのだろう。卒業式は、やっぱり体育館がいい。

卒業生が拍手に迎えられ、入場した。
司会の教頭先生が、全員起立と言ったので、立ち上がった。国家斉唱が始まったので、私と妻は座った。私は、長女、次女、長男の入学式や卒業式にできるだ け出るようにしてきたが、「君が代」を歌ったことはない。国民とアジアの人々を塗炭の苦しみをもたらし日本軍国主義の精神的シンボルと考えているからだ。

校長が式辞を行った、少し芝居がかったような演説調だったが、話を切り出すとき涙ぐまれた。校長は、持論という「真のエリートたれ」という話をした。今 の世相を批判し、拝金主義の横行にふれ、「私」だけでなく公益、国家のために役立つ人間になること、それが真のエリートだ、と述べた。妻によれば、校長 は、定年退職のため高校での卒業式はこれが最後になるので、力が入ったという。時代に悲憤慷慨する熱血教師は減っていると思っていたので、意外な感じがし た。
終わってしまったが、NHKドラマで「フルスイング」という連続ドラマを見た。プロ野球のコーチを辞め、50代後半になって高校教師になった話である。 夢の大切さを生徒に語り、同僚への信頼を教師に語り、不治の病を得て迎えた最後の卒業式の日、生徒達に「あきらめない」ことの大切さを語り、生徒の前でブ ンブン、バットをフルスイングして逝った教師の実話である。熱い教師、生徒と人間的な信頼で結ばれる教師が増えて欲しいと心から願う。

来賓挨拶、卒業証書の授与、在校生の挨拶の後、娘の名前が呼ばれた。娘が卒業生を代表して答辞を読むことになつていた。自分のことのように、胸がドキド キした。娘は、広島・長崎の修学旅行で平和の大切さを学んだこと、そして私たちの努力で平和を守り続けなければならない、ということを言った。学園祭や部 活動の思い出に触れ、友情の大切さを語り、「暖かく見守り続け育ててくれた家族」や「最後まであきらめるな」と励ましてくれた教師に対する、懇切な謝辞を 述べた。
親バカかもしれないが、落ち着いた語り口で、良い答辞だった。堂々としていた。
娘は、小さい頃から、食べ物アレルギーや喘息で親にも心配をかけた。引っ越した直後に小学校の入学となったので、入学式の日、友達が一人も泣く、教室に連れて行かれて泣きじゃくっていた姿は忘れられない。
おとなしい子で、成績も飛び抜けて優秀というものではなかったが、中学、高校と卓球に打ち込んで、次第に自信をつけていったのかもしれない。立派に成長してくれた。
その後、生徒達は「仰げば尊し」「蛍の光」と校歌を合唱した。「仰げば尊し」は、生徒から教師に対する感謝の心を詠ったもので、儒教の影響を指摘する向 きもある。教師と生徒は、同じように一個の個人として、対等な人格として、尊重されなければならないが、やはり、生徒は教師に見守られ、教えられるものな のである。もちろん、生徒から尊敬される教師であってほしいとも思う。古くさいかもしれないが、卒業式には「仰げば尊し」歌い続けて欲しいと私は思ってい る。
約260名の卒業生は合唱は、さわやかで、心が籠もった、素晴らしいものだった。

卒業生の中には、経済的な困難を抱えている生徒もいると聞く。競争原理が強まり、自己責任が強調される社会の荒波の中に入っていく生徒達の後ろ姿を見ながら、いろいろなことを考えていた。

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