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事務所だより

ミヤケンこと宮本顕治氏を偲んで2「土着性とリアリズム」 豆電球No.31

2007年8月5日

ミヤケンこと宮本顕治を偲んで2「土着性とリアリズム」

今回は、ミヤケンの戦後初期の活動、特に1961年の第八回党大会で日本共産党の綱領路線が確立されるに至る時期を取り上げます。この時期のミヤ ケンさんの活動は良く知られていますが、私は、「土着性とリアリズム」というキーワードで、ミヤケンさんの戦後の思想と活動について、お話ししたいと思い ます。

まず戦後初期の日本の動きから。
1946年に制定された日本国憲法は、主権が国民にあることを定め、男女平等、労働基本権の保障等を詠ったが、これは、日本共産党が主張した方向に沿ったものでした。
唯一、戦争に反対し、主権在民を貫いた党として、共産党は、労働者、知識人の間に支持を広げていきました。
しかし、その後、共産党の敗戦直後のたたかいは波乱と混乱に満ちたものとなりました。戦前、指導部が徹底的に破壊されたこと、徳田球一というカリスマ的 指導者が独断で指導部を引っ張ったこと、外国からの干渉を受けたこと等から、戦略的方針の確立ができず、混乱していきます。1950年、マッカーサーの弾 圧(共産党の公職追放)を契機として党組織が分裂し、宮本氏は、中央指導部から放逐、排除されました。その後、徳田氏らが指導する、分裂した一方の側は、 中国共産党の毛沢東指導部からの介入、指導を受け、極左的な闘争方針を採るに至り、共産党は国民から支持を失います(いわゆる「50年問題」)。
その後、共産党は、ようやく55年頃から分裂を克服して統一を回復する過程に入り、61年には新しい綱領を確定し、基本路線を確立することになりまし た。これを契機に日本共産党の前進が始まることになります。ミヤケンさんは、綱領問題小委員会委員長となりますが、綱領確定の過程で果たした役割は極めて 大きなものがありました。この間の論争とミヤケンの主張は、「日本革命の展望」(新日本出版社)で知ることができます。

訃報を報じた各紙も指摘するように、ミヤケンが主導した路線は、議会において多数を獲得して社会変革を進める議会主義、ソ連共産党や中国共産党の介入、 干渉をはねのける自主独立の路線等を特徴としていますが、私が何よりも特徴的であると考えるのは、発達資本主義国での民主主義革命という考え方の独創性で す(「革命」という言葉は、最近もIT革命等というように時々使われますが、差し当たりは、抜本的な変革という程の意味で理解してくれれば結構です)。と いうのは、当時(今でもそうかもしれないが)、発達した資本主義国におけいては、次には社会主義しか問題になりえないというのが国際的な通念でした。イタ リアやフランス等、当時有力なヨーロッパの共産党も、一様にそうした立場でした。日本でも、日本社会党はその立場から日本共産党を厳しく批判していたので す。
資本主義の枠内で、社会と政治の徹底した民主主義的変革を行うこと、アメリカの従属から離れた真の独立した民主主義をうち立てることを社会変革の戦略的課題として打ち出した民主主義革命論は、極めて独特なものだったのです。
党内にも、サンフランシスコ条約によって独立は達成されており、米国への外交政策等の追随はあっても権力支配の問題ではないとして、独立を革命の課題と することに反対する強力な反対論があり、社会主義革命を目標とすべきであるとの反対論は少なくありませんでした。共産党は、58年の第7回党大会で独立・ 民主主義・平和の民主主義革命を当面の社会変革の方針とする綱領を賛成多数で可決しましたが、党内に少なからぬ反対論があることを考慮し、次回の大会まで 討論を続行することにしました。
アメリカは、朝鮮戦争勃発後、日本の民主化という当初の占領方針を見直し、日本を反共の防波堤として位置づけるようになりました(共産党に対する弾圧も その一環であったことは言うまでもありません)。アメリカは、サンフランシスコ条約で形式的には日本の「独立」を認めましたが、首都をはじめ全土に米軍基 地を置く権利を留保し、沖縄を全面占領していました。
党内にあった、安保条約で国土と主権を制限された事実上の従属国としての実態を過小評価する意見、日本は資本主義国であるから次なる革命は、社会主義革 命しかありえない等する意見は、その後の党内論争の中で克服され、61年の第8回党大会では、全員一致で前記の綱領が成立したのです。

ミヤケンが強調したのは、社会変革の展望、道筋は、国びとにその条件が多様であり、機械的に外部から持ち込んだ理論を適用するのではなく、具体的な情勢 を科学的に分析した上でうち立てられなければならないということでした。それは、外国の干渉を受け党が壊滅的な打撃を受けた50年問題から導き出した痛苦 の教訓の一つでした。
私は、ミヤケンさんの思想の大きな特徴は、この土着性であり、リアリズムであったと思っています。

ミヤケンは、科学的社会主義の立場に立つ政治指導者です(共産党は、たとえマルクスの理論的貢献が大きいとしても、理論は不断に発展するものであり、特 定の個人の名前を冠することは妥当ではないとして、77年の13回臨時党大会以降、マルクス主義という言葉は使わず、科学的社会主義という呼称を使うよう になりました)が、いまでも、マルクス主義、科学的社会主義を教条主義、図式主義であると勘違いしたり、外部から持ち込まれた理論ではないかと思いこんで いる人が少なくありません。
先日、中日新聞の書評欄を見ていたら、札幌大学の鷲田教授(哲学)が司馬遼太郎氏の「この国のかたち」を書評し、(司馬は)「大正末年に生まれた左翼思 想は『疑似普遍性をもった信仰』でその反作用として生まれた右翼思想とともにリアリズムを欠いていたと断じる。その通りだ」と述べていました。「疑似普遍 性」という言葉は難解ですが、私なりに理解するのは、マルクス主義は、どの社会にも通用する普遍性を主張していると主張するが、あくまでも「疑似」であ り、その思想には土着性がない、という意味だと思います。確かに、司馬遼太郎は、マルクス主義についてそのように認識していた節があり、あちこちでそのよ うなことを述べています。
私は歴史学の専門家ではないので詳しくはわかりませんが、戦後隆盛したマルクス主義的歴史学の中には、機械的な図式主義もあったのではないかと思います。
しかし、実は、マルクスやエンゲルスらこそ、こうした図式的な考え方を最も嫌ったのでした。
ちょっと横道に逸れますが、例えば、エンゲルスは若い頃、次のように書いています。
「ハインツェン氏の想定するところによると、共産主義は、核心としての一定の理論的原理から出発して、そこからさらに数々の帰結を引き出すところの、あ る種の教義である。 これは、ハインツェン氏のとんでもない思い違いだ。共産主義は教義ではなく、一つの運動である。それは原理からではなく、事実から出 発する。共産主義者はあれこれの哲学を前提とするのではなく、これまでの歴史全体、特殊的には、文明諸国における現在の事実上の諸成果を前提とする」。
有名な「ドイツイデオロギー」の次の一節も、同旨です。
「共産主義は、われわれにとっては、つくりだされるべき何らかの状態、現実が則るべきなんらかの理想ではない。われわれが共産主義とよぶところのものは、現在の状態を廃止する現実的運動のことである。この運動の諸条件は今、現存している前提から生じる」
司馬遼太郎が言う歴史分析の視角についても、エンゲルスは次の通り述べています。
「唯物論的方法というものは、歴史的研究をするさいに、それが導きの糸としてではなく、史実をぐあいよく裁断するためのできあいの型紙として取り扱われ ると、その反対物に転化する(中略)。私は、頭から決めてかかる前に、むしろ根本的に事につうじることを選びます」(1890年)。

ミヤケンさんの思想は、このような図式主義とは無縁のものであり、日本の国情を具体的に分析することを重視したものであり、リアリズムを重視したものでした。
戦前においても、日本は十分発達した資本主義国の一つでしたが、日本共産党は、日本独特の政治と社会の独特の後進的性格を分析し、社会主義革命ではな く、絶対主義的天皇制の支配こそが日本の社会発展の妨害物であり、天皇制の打破による民主主義革命を掲げていました。これに対して、後に戦争に協力して いった労農諸政党等の中には、社会主義の実現を掲げて天皇制の打破を回避し、中には天皇制による社会主義への前進を掲げるものもあったのである。
司馬氏らは、マルクス主義がリアリズムを欠いた外来思想と理解しているようですが、戦前の日本共産党が掲げた戦争反対と民族自決、主権在民、男女平等と 労働者・国民の人権保障は日本国憲法に明記されました。日本共産党は非国民扱いされましたが、当時の政治勢力の中で、歴史のリアリズムに立っていたのはま さに日本共産党でした。
ミヤケンが主導した、日本の徹底した民主主義的変革を当面の戦略課題とする綱領方針は、その後の40年の歴史によってそのリアリズムが立証されたとと思います。
70年代に深刻になった公害問題の解決にしても、老人医療無料化等を掲げた革新自治体の躍進をはじめとする社会の高齢化に伴う社会保障の整備拡充の課 題、労働者の労働条件の向上の問題についても、資本主義の枠内で国民本位の経済政策を実行し、政府の所得再配分機能の充実等により相当程度実現することが 可能な課題であり、今、国民が直面している課題は、資本主義か社会主義かの体制選択ではなく、資本主義の枠内で、大企業に対する民主的規制の強化と国民本 位の経済政策の実現により相当程度達成することが出来る民主主義的課題であることは明らかです。

話が長くなりましたが、ミヤケンさんの思想の最大の特徴の一つは、この土着性とリアリズムです。
そういえば、関係ないかもしれませんが、ミヤケンの講演では、文学畑出身であったためか、講演等の中では、良く日本史に登場する人物等が登場していまし た。権力の弾圧に抗した日蓮上人、百姓一揆のリーダー等がときどき登場します。共産党員が大局的な展望を持ち、日々民衆に奉仕することを強調した時に、仏 教用語の「安心立命」という言葉を用いて、マスコミで話題になったこともありました。ミヤケンさんは、「義を見てせざるは勇なきなり」という論語の言葉も 愛用していた気がします。私は、仏教や儒教を独特な形で変容させ、独自の文化を創り上げてきたことを誇りに思っています。特に、日本仏教の慈悲と平等の思 想に強く惹かれていますが、ここにもミヤケンさんの民族性というか、土着性を感じ取ることができるかもしれません。

次回のキーワードは、「自主独立」です。

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