フルムーン旅行顛末記2 「コロッセオで転ぶ」の巻 豆電球No.93
2009年9月25日
フルムーン旅行顛末記2 「コロッセオで転ぶ」の巻
翌日ツアー二日目は、ローマ市内観光からフィレンツェに移動の予定。朝イチに訪れたのは、コロッセオ(闘技場)。ここを見なければローマに来たことにならない、ローマ観光の顔とも言うべき観光名所である。少し坂を上がったところにあるバス駐車場から、ナポレオンが羨み、これと同じ物を作ろうとしてパリの凱旋門を作ったという謂われのあるコンカタンティヌス帝の凱旋門を見ながら、コロッセオの入り口に行き、記念撮影となる。なぜかカメラマンの助手が日本人で、「新婚さんいますか。真ん中にどうぞ」。私が「はーい」と手を挙げると、助手は「いいキャラしてますね」と言って、真ん中にしてくれた。「葬式の写真ではありませんよ」「1足す1はー?!」「ツー」と定番のジョークで一行の笑いを取ったまでは良かったが、こうして調子に乗った時こそ、危険が近づいていることを予知すべきであった。
コロッセオに入り、ガイドの紹介を真剣に聞く。ローマの市民は自らは働かず戦争で略奪した奴隷に働かせていたこと、5万人の奴隷がコロッセオ建築のために使われたこと、奴隷は奴隷のまま一生を終えるか、他人に売られるか、剣闘士になって猛獣や他の奴隷と剣で戦って自由民となるか、三つに一つの選択しかなかった等、名調子で聞かせてくれた。コロッセオでは奴隷である剣闘士同士、剣闘士と猛獣、猛獣同士のたたかいを数万人の観客がスポーツを見るかのように観戦していたという。剣闘士同士のたたかいでは、勝負がついた後、敗者の喉元に剣先が充てられ、観戦する皇帝や観客が「十分楽しませてくれた」と親指を上にした合図をすれば命だけは救われるが、つまらないと親指を下にすればトドメを刺されたという。奴隷制とはこういうものなのか、人間性を失った退廃ではないか!と怒りながら、二人で二階に上がる。
妻は、あこがれていたコロッセオに登って、もう夢中である(これが正真正銘のお上りさんというものか)。私の後を、「どこから猛獣が出てくるの?どこ?どこ?」と言いながら歩いていたが、突然、悲鳴が!!石畳の段差で足を取られ、躓いて転んでいるではないか。足首を痛めたな!(と、その時点では思っていた。まさか骨折等とは考えてもみなかった)。大丈夫?と聞くと、大丈夫じゃないみたいという返事。おんぶしようかと言っても最初は嫌がっていたが、ツアーの人から「歩くと悪くなるよ」と言われ、諦めて私の背中に。バスの駐車場までの坂道をおんぶして上がるのはしんどかった。それにしても、なんで、イタリアまで来て捻挫するの!コロッセオでコロぶなんて、しゃれにもならないよ!少しイラッと来たが、痛みに耐える妻が気の毒ではあった。それにしても、これからのツアー、どうなるのだろうかと不安がよぎる。
コロッセオの後、一行は、ローマ三越で買い物だが、私たちは、もちろん買い物等という状況ではない。ガイドと一緒にFarmacy(薬局)を探し出し、杖とサロンパスを買い込む。その後、一行はトレビの泉とスペイン広場。映画「ローマの休日」の名場面である。スペイン広場でジェラードを食べることを楽しみにしていた妻だが、痛みが増し、泣く泣くバスの中で待機(妻は観光地のソフトクリーム制覇を趣味の一つにしている)。私も待機となったが、しばらくするとバスの最後列に残っている人がいる。どうやら一行がバスを出るとき、眠っていて置いてきぼりになつたようだ。気の毒になり、トレビの泉まで連れて行く。「せっかくだから妻に食べさせてやろう」と添乗員が買ってくれたジェラード二個を受け取り、バスに走って戻る。しかし、9月のローマの暑さである。ジェラードは、どんどん溶け出す。両手のジェラードを交互にぺろぺろなめ舐めながら走っていく東洋人を、道行くイタリア人達はどういう目で見ていただろか。
昼食後、バチカンのサンピエトロ寺院に。痛みがひどく、バスの振動で震えるだけで激しい痛みが走るという。仕方なく、バファリンを飲む。旅行傷害保険のパンフを見ながら保険会社に電話し、サポートを依頼、パリにあるセンターから携帯に電話が入り、打ち合わせに入る。
一行は、バスで高速道路を走り、フィレンツェ郊外のプラトーという都市にあるホテルに向かう。途中、パリからの電話では、土曜日のため病院が閉まっていること、到着が夜であるため公立病院の休日深夜外来しかないだろうとのこと、治療費は、公立病院であるため、保険会社の支払保証は受け入れられず、現金でいったん治療費を立て替え、後日、保険会社に請求することになるだろうとのことであった。
高速道路が途中からひどい渋滞になり、ノロノロ運転に。既に暗くなっている。予定より大幅に到着が遅れる見込みとなる。添乗員が運転手と何か話をしている。しばらくして添乗員がマイクを取り「残念なお知らせがあります」とのこと。レストランまであと15分程度であるが、運転手が休憩するといっているとのこと。イタリアでは、4時間運転した時は必ず45分の休憩時間を取ることが義務付けられているためという。添乗員は、あと15分で到着するのだからと交渉したようだが、運転手は頑として聞かないという。日本なら、お客様第一、ここは少し無理してでもレストランまでと考えるのが常識だろうが、イタリアは事情が違った。労働者の権利が何よりも優先される国である。バスは、トイレも何もない原っぱのようなところに停車して休憩となる。トイレを利用したい人が続出したため、バスの一階に備え付けられた非常用トイレが活躍。電気がつかない、水が出ないの大騒ぎであった。
いくら規則だろうか何で融通を利かせてくれないのという気持ちにもなるが、それをやり出せばルールはなし崩しになっていく。フレキシブルな時間管理、顧客最優先、長時間残業当たり前という日本のサービス業の現場と比較し、風土との違いを改めて実感する。つすが、フランスと並んで戦闘的な労働組合活動の伝統のある国と感心しながらも、怒り半分ではあつた。