サルコジと政治の座標軸 豆電球No.25
2007年5月10日
サルコジと政治の座標軸
フランスの大統領選挙は、右派・民衆運動連合のサルコジ候補が勝利し、初の女性大統領誕生かと期待を集めたロワイヤル候補は、決戦投票で敗れた。サルコジは、15日、シラクに替わって大統領腐に入り、「変化・秩序・権威」をスローガンとして掲げた。
大統領選挙の模様は、世界でも連日報じられたが、投票率が80%を超えたというのも凄いが(日本の国政選挙の低投票率と比べてほしい)アメリカ以外で一 国の大統領選挙がこれほど大きな関心を集めることもめずらしい。日本でも、選挙は、福祉国家を主張する左派のロワイヤルか、労働者保護政策の削減、市場原 理・競争の強化、移民対策強化を主張する右派のサルコジか、という図式で報じられ、結果として右派のサルコジが勝ったと報じられている。だから、よほどサ ルコジという人は右翼的な人ではないかと思われているようである。
それはそれで間違いはないのだが、私は、それとは少し違う視点を提供してみたい。
5月16日付朝日におもしろい記事が出ている。サルコジ候補が選挙戦の締めくくりの場として訪れたのが、第二次世界大戦のレジスタンスの抵抗の拠点で あったグリエール高原であった、というものである。標高1440メートルにある同高原は、ナチスに反対するレジスタンスの拠点が置かれ、連合軍は夜間、落 下傘で武器を投下し、闘士が仏全土の抵抗運動に配る等していたが、44年3月ナチスドイツ軍に後略され、村人や義勇兵ら150名が殺害されたという。73 年には、同高原に慰霊碑がつくられた。
サルコジは、国民の愛国心に訴えようという選挙対策、政治的思惑に基づいて同地訪問を訪れたのだが(レジスタンスの闘士は政治利用に憤激しているとい う)、右派の頭目が愛国のためのキャンペーンとして訪れる地が、レジスタンス抵抗運動の拠点であるという事実は、遠く離れた日本の総理大臣が、第二次世界 大戦の枢軸国の一角を担った日本の侵略戦争を美化する靖国神社への参拝を繰り返したり、こっそりと供物を捧げるという有様と比べて、実に対照的ではないだ ろうか。ここに、侵略戦争への確固たる反省の立場に未だ立つことができない日本政治の異常性を見ることができる。
サルコジが右派と呼ばれるのは、企業減税とともに労働者の権利の削減、労働時間延長等を訴えていたからだ。しかし、労働時間改革でサルコジが主張してい るのは、35時間労働時間制の改革であり、「35時間労働時間制は維持しつつ、残業を容易にするという」公約なのである。週35時間!日本では、労基法の 週40時間は建前だけであり、野放しの残業が行われ、過労死まで生み出している。05年の年間労働時間を比較すると、フランスは1480時間であるが、米 国や日本は1800時間を超えている。残業時間については、ILO1号条約の第一号条約は、残業時間の上限を法律で定めることを求めるものであったが、日 本は今だに同条約を批准せず、残業時間は「青天井」である。
サルコジは、確かに競争重視を打ち出し、供給サイドの経済政策を強化することを主張している。しかし、そのサルコジが、著書「アンサンブル」の中では次 の用に書いているのだという。「企業経営者が株主にだけ、責任を負い、労働者、社会、国あるいは未来の世代に責任を追わないような資本主義が永続するとは 思わない」
「競争と市場は、それだけでは、教育や健康、文化、社会的保護、環境、都市化問題、住宅、あるいは世界の飢餓の諸問題を解決できない。反グローバル運動家たちは基本的な一点で正しい。すなわち、あらゆるものを商品に還元することはできないということだ」
(サルコジは、保守的な思想の持ち主である。今、アングロサクソン流、アメリカ流の新自由主義、利潤と効率一辺倒の経済が世界的に広がろうとする中で、 従来の伝統や文化との激しい軋轢をもたらしているが、保守的な立場の人々からも強い懸念の声が上げられている。日本の「革新」と言われる勢力に欠けている 一つは、こうした保守的な人々とも対話を行い、ウィングを広げることである)
移民問題は、欧州各国で大きな争点になっている問題である。「移民がフランス人の仕事を奪っている」「イスラムの移民が国是の政教分離原則を崩そうとし ている」「移民社会は犯罪が多い」といった反発が広がっていると聞く。その問題の深刻さ、解決の困難性は、おそらく島国に住む我々には理解が困難なところ もあるに違いない。日本は、難民すら十分受け入れず、外国人労働者には高い障壁を設け、厳しく制限している。首都東京の知事は、外国人への敵意をむき出し にした発言を繰り返しているが、選挙では大差で圧勝している。
サルコジは、右派と言われ、自分もそう自称しているが、その政策を日本で主張すれば「右派」と呼ぶことに躊躇する向きもあるかもしれない。サルコジまでが「左派」に見えてくるほど、日本の保守政治は、特異なのである。
要するに、日本とフランスでは、座標軸かずれているのである。
フランスの大統領選挙は、侵略戦争を反省せず、雇用のルールを確立しない日本の自民党政治の異常性を照射しているのである。今度の参議院選挙でも、国民は、日本の保守政治の継続を容認するだろうか。
(書いていて、なんかサルコジを擁護しているような記事になってしまいましたが、それが本意ではありませんので、誤解のないように)