福島第一原発事故、国と東電の責任を認める判決
2020年11月2日
画期的な判決
2020年9月30日、仙台高裁で画期的な判決が出されました。
2011年3月11日に福島第一原発事故が発生してから9年半が経ちましたが、その傷跡はいまだ癒されていません。原発から放出された放射線を避けるために避難した住民、放射線に怯えながらその土地に住み続けている住民らが、国と東電を訴えた裁判で、国の責任を認める初めての高裁判決が出されました。
仙台高裁は、国と東電の責任を明確に認め、なおかつ一審判決よりも被害救済の範囲を広げ、賠償額を増やす判決を下しました。名古屋地裁など、国の責任を認めない判決が続いていた中でのこの高裁判決は、全国で同じような裁判を闘う原告らを励ますものとなりました。
福島第一原発事故は予測できていた
東日本大震災を遡ること8年半前の2002年7月末、国の専門機関が、福島県沖で大きな津波を伴う大地震が発生する可能性について言及する報告書をまとめました(「長期評価」と言われています)。もし本当にその場所で地震が発生した場合、福島第一原発の敷地を浸水させる規模の津波が押し寄せて、全交流電源喪失、炉心冷却機能の喪失に至り、原発の暴走(炉心溶融=メルトダウン)が引き起こされることは、予測することが可能でした。したがって、安全確保を最大限重視するならば、直ちに地震及び津波対策をとることが必要だったのです。そしてまた、重要機器室の水密化(水が入らないようにする)による対策は十分に可能でした。
それがわかっていながら東電は、必要な対策を怠り、あるいは先送りしたのです。そしてさらに国の原子力規制機関(当時は「保安院」と言っていた)は、その事態を知りながら、不誠実な東電の報告を「唯々諾々と受け入れ」(判決の表現)、適切な規制権限を行使しなかったのです。
このように、国と東電の怠慢が積み重なって、地域を丸ごと破壊してしまう悲惨な事故が引き起こされました。このことを適切に判断した仙台高裁の裁判官の慧眼と勇気に心からの賛辞を贈りたいと思います。
名古屋でも同種の訴訟が
名古屋でも、福島県から愛知や岐阜に避難してきた方々が原告となって同種の裁判を起こしています。昨年8月に第一審の名古屋地裁判決が出されましたが、残念ながら国の責任を認めませんでした。現在、名古屋高裁で、被害者を救済する逆転勝訴を目指して奮闘しています(私も弁護団の一員です)。そんな中、今回の仙台高裁判決は大きな力になります。
原告らは、被災者の救済とともに、さらには全ての原発をなくす脱原発を目指して活動を続けています。大きな関心をお寄せいただきたいと思います。
弁護士 伊藤勤也(名古屋北法律事務所)
(2020年7月「新婦人北支部・機関誌」へ寄稿した原稿を転機しています)