年金裁判便り その3
2018年12月10日
前回(その2)は、裁判所と生存権の関係という難しい話でしたが、今回は、生存権が年金裁判の中でどのように関与しているか、国の言い分とあわせてお話しします。
年金裁判の原告の方は一人一人、受給する年金の種類や金額が異なります。全員に共通するのは老齢基礎年金(国民年金)ですが、年金受給資格期間が10年(昨年に25年から短縮)を超えていないと受給できず、40年満額を納めてきても生活保護の扶助額よりも低額という内容です。納付期間が短かったり、免除期間があれば金額はますます低くされます。
特に、基礎年金だけを受給し、それがほぼ唯一の収入源である年金受給者にとって、年金額の切下げは極めて死活問題です。したがって、ただでさえ不十分な年金額を切り下げることは生存権に対する重大な侵害であると訴えています。
これに対し、国は年金が足りなければ生活保護など他の制度を使えばいいと反論します。しかし、生活保護は制限も多く、取得するのも簡単ではありません。むしろ、国民年金法の趣旨からすれば、年金だけで生存権を満たすような制度設計にすべきです。
また、前回説明したように、国は、年金を通じて生存権をどのように保障するか政策決定の自由度が高く、今回も問題ない範囲だと反論します。しかし、一度決めた社会保障の内容を改悪する場合の政策決定の自由度は低くなると考えるべきです。自由度が低い以上、国は納得できるだけの理由を説明する責務があります。
そのうえで、国は、正当化の理由として、年金制度が破綻しないように維持するため年金の切下げしかないのだと説明します。しかしながら、現状の年金財政が厳しいものがあるとしても、切下げ以外の打開策を検討した様子はありません。国の政策は、企業や高所得者を優遇し、社会保障を削り軍事費増強など。これらにメスもいれず、社会保障の削減ありきで、スピード審理で決定させました。国は財政ありきでその枠内の社会保障という考え方のようですが、これは本来の社会保障の在り方とは真逆だということを認識してもらわなければなりません。
弁護士 新山 直行 (名古屋北法律事務所)
(「年金者しんぶん」へ寄稿した原稿を転載しています)