今月のけんぽう 24条〜家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等
2013年11月27日
憲法24条
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」
(解説)
憲法24条は家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等を定めた規定です。夫婦関係について、平等で自由な人的結合であるべきことを示したものですが、個人の尊厳や平等は、憲法の他の規定から当然に導かれるものですから、特別に規定しなくても当然の規定とも考えられます。
しかし、歴史的にみて、とても重要な意味がある規定です。明治憲法下での旧来の「家」制度のもとでは、家長である戸主が家族を統率し、戸主の地位と家の財産は、原則、長男子が承継する制度でした。家族は戸主の同意がなければ婚姻できませんし、家の存続が何よりも重視され、妻に子どもができない場合には、夫は妻以外の女性との間に子をもうけ、後継ぎを確保することが公然と許されていました。他方、妻は夫以外の男性と交われば、姦通罪として処罰の対象となっていました。このような不平等な家制度を廃止し、男女平等を徹底し個人を基礎とした考え方を示したのです。
憲法24条の歴史をみると、エンゲルスの「家族・私有財産・国家の起源」という本が思い出されます。エンゲルスは経済的諸条件を基礎に変化・発展してきた家族の歴史を分析するのですが、その分析によると、明治憲法下での家制度は、一夫一婦婚といっても、男性が財産を自分の子どもに相続させることを唯一の目的として生み出した「打算婚」であり、だからこそ、夫には不貞の権利が認められていた制度だったのでしょう。エンゲルスは、人間が経済的な打算の支配から解放された社会では、一夫一婦婚から(1)男性の優位と(2)愛情がなくなっても離婚できないという解消不可能性失われて、真の一夫一婦婚になり、「愛にもとづく結婚だけが道徳的であるならば、愛がつづいている婚姻だけがまた道徳的である」と述べます。「個人的異性愛」だけが男女を結びつけるきずなになるというのです。なかなかにロマンチックです。
弁護士は、仕事としては離婚事件をよく引き受けるわけですが、経済的な諸条件や時代の伝統が色濃く反映しているなぁと思う場面にもよく出くわします。真の意味での男女平等は、簡単なようで難しいですね。
話を憲法に戻すと、自民党は、憲法24条に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」という1項を追加しようとしています。家族が助け合うことは結構なことですが、憲法という最高法規により縛るものではないと思います。そして、「個人」の尊重から「家族」を基礎単位とする考え方への変容は、明治憲法下の家制度へ時代の逆行としか考えられません。
弁護士加藤悠史