蟹工船と怒りの葡萄
2008年11月17日
小説「蟹工船」と映画「蟹工船」は、最後のところが違う。山村聡監督は多喜二の精神を正しく汲みつくしてない旨を北法律事務所の長谷川一裕先生から聞いたあとに映画「蟹工船」を半世紀ぶりに見ることとなった。
小説では立ち上がった労働者の指導的人物を帝国海軍は拘束するが発砲はしていない。「そして、彼らは、立ち上がった。――もう一度!」で終わっている。 一方、映画の方は、「帝国海軍を侮辱するな」と抜刀した指揮官の命令で、発砲して何人かを殺戮し、静かになって、おびえている労働者の群れの中から、何人 かの指導的人物をかり集めて、皆殺しにして終わる。怒りは沸くが、なんだか空しい気になる。それでも映画は当時の船内や労働環境を忠実に映し出しているか ら、小説の内容を生々しく感じ、理解することは出来る。
そんなことがあったあと、映画「怒りの葡萄」を観ることとなった。これも、ホウネットの総会で映画研究者の吉村英夫先生から、「寅さんについての講演」 を聞いたあとの懇親会で「ジョンフォード監督は、とても人間性にあふれた人物ですよ。彼はインデアンを殺戮する愉快な西部劇ばかりを創っているわけではあ りません。インデアンと戦わない西部劇さえ創っています」と言われたからである。
もともと映画好きの私は、最近、二枚を500円で買えるDVDを買って、仕事に疲れるとコンピューター動画で見ることにしているが、ちょうど「怒りの葡萄」を買い求めたためである。
半世紀も前、若い時に映画館で観た時は、まったく気が付かなかったが主人公のトム(ヘンリーフォンダ)が1929年に襲った世界的大不況の中で、土地を 追われ、果樹園で豚のようにこき使われ、元牧師ケーシーに労働者の歴史的な運命を教わる話である。農園の争議に巻き込まれて殺人を犯してしまうトムは家族 のもとを去ることころで終わっている。
最後の場面の母親との会話は次のようなものである。母「トム行ってしまうのかい」トム「ずっと考えていたんだ。ケーシーのことを。彼が言ったことや、そ して彼がしたこと、そして彼の死にざま、眼に焼き付いているんだ」「俺たちのことも考えていた。広大な地主の土地に10万の飢えた農民、民衆が団結して声 を一つにする事ができれば・・・」「たとえ暗闇の中であろうとも僕は母さんの見えるところにいる。餓えている人たちが暴動を起こせば僕はそこにいる。警察 が仲間に暴行を加えていたら、そこにもいる」
ちなみに、小説「怒りの葡萄」を書いたジョン・スタインベックは1902年2月27日生まれ、小林多喜二は1903年10月13日生まれである。日本の 真珠湾攻撃は1941年12月8日、1945年8月6日広島に原爆投下。2008年11月4日アメリカ大統領に初の黒人大統領が誕生した。
1936年2月9日生まれの私は、われわれに希望があるとすれば、何を一番先にすればよいのかを模索する忙しい毎日である。
2008年11月17日 深夜 茶谷寛信(ホウネット副会長)