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解決事例一覧

当事務所で
解決した事例をご案内します。

労働問題

解雇事件を労働審判手続きで解決

事件の概要

この事件は、機械の開発、製造などを行っている会社に中途採用された労働者が、不当な配転を受けた上、配転後わずかな期間で解雇された事案です。労働審判を申し立てた結果、解雇撤回等の勝利的和解を勝ち取ることができました。

不当解雇の撤回

労働者は、機械の制作に携わり、それまでよりも効率の良い機械を何種類か開発する成果を残しましたが、矯正しても視力が普通の人よりも悪かったのです。入社時にはその説明をしていたのですが、視力が悪いことを理由に、部署の変更と降格を求められ、給料も格段に下がりました。労働者は不本意ながらも解雇されるよりはましと考えて配転に応じ、新たに雇用契約を結び直しました。しかしながら配転のわずか1月半後に、今度は解雇を言い渡されました。

会社側の解雇理由は、労働者が危険な作業を行っていたということですが、この労働者は職場でこれまで事故を起こしたことはなく、言いがかりに等しいものでした。 労働審判では、復職を求めましたが、最終的には解雇撤回の上で、解決金を支払って、会社都合による退職という形で和解をしました。

派遣労働者の解雇事件

2008年9月のリーマンショックを皮切りに、全国で派遣切り(派遣先会社が派遣労働者の受入れを中止すること)が繰り返されました。製造業が盛んな愛知県でも派遣切りが横行をし、事務所弁護士も派遣村等の活動に従事しました。派遣労働者は労働契約を締結する相手と指揮命令をする者が別になっているため、派遣労働者は正社員がやらないようなつらい仕事を命じられたり、景気が悪くなると雇用の調整弁とされ易いという点があります。今回ご紹介をするのは、派遣労働者に対して行われた解雇の事件です。

この派遣労働者は派遣先の研究業務に従事をして、部品の設計などの業務に従事していました。この派遣労働者はいわゆる常用型派遣という、派遣会社に継続的に雇用され、派遣先で業務を継続するという形でした。この労働者は、派遣先の業務を終了し、待機状態に入りましたが、待機期間中、次の派遣先などを十分に探してもらう事が出来ず、また、新たな派遣先に必要な技能の研修などを受けることが出来ず、最終的に派遣先が見つからないと言うことで解雇をされてしまいました。派遣労働者自身には、派遣先に関する情報はありません。また、自分で必要な技能を勉強するのにも限界があります。そのため、派遣会社はどのような派遣先が良いのかを労働者ときちんと協議をすべきです、必要な技能が足りなければ研修などを受けさせるべきなのです。しかしながら、実際には派遣会社にとって、派遣労働者はモノ扱いをされ、そのようなコストを払うことを嫌い、何かしら理由をつけて労働者を解雇することが多くあります。

裁判では、派遣会社が十分な研修、派遣先の探索を行わなかったという点に集中的に立証をしました。会社側は派遣労働者の技能、コミュニケーション能力等が劣っていたという主張をし、労働者に秘密のうちに取得をした派遣先のアンケートなどを提出するなど、なりふり構わない主張をしました。ただ、待機期間中に十分な派遣先探索を行わなかったことは会社側にとって致命的で有り、最終的に、解雇無効を前提とした和解を勝ち取ることが出来ました。この事件は、単なる解雇事件と言うだけで無く、派遣労働者の問題点が非常に良く現れた事件であったと言えます。

三菱電機派遣切り裁判報告

三菱電機名古屋製作所で働いていた派遣労働者が、派遣先である三菱電機に対して派遣切りに対する損害賠償などを求めていた事件で、2013年1月25日、名古屋高等裁判所民事3部(長門栄吉裁判長)は、三菱電機の損害賠償責任を一部認める判決を下しました。

この事件の発端は、2008年末にリーマンショックの影響を理由に、三菱電機名古屋製作所で数百人という大量の派遣切りがなされたことでした。三菱電機では、少なくとも2002年頃から、偽装請負という違法な方法で労働者を受け入れ、労働者派遣法にも大きく違反するほど長期にわたり社外労働者を受け入れていました。本来であれば、長期間労働者を使用するなら、正社員として契約するのが当然ですが、人件費を削減するために違法な派遣労働を続けさせたのです。そして、生産が落ち込めば、真っ先に派遣労働者が契約を切られました。

名古屋北法律事務所を中心に弁護団が組織され、そんな働かせ方はおかしいとして派遣先である三菱電機の責任を追及してきました。派遣労働者は、形式的には派遣元と雇用契約を結びますので、派遣先との契約関係はありません。三菱電機は、裁判で、派遣労働者とは契約関係がないんだから責任もないという主張を展開しました。今回の判決は、三菱電機の主張を退け、「派遣先企業にも、派遣労働者との関係で、その雇用の維持又は安定に対する合理的な期待をいたずらに損なうことがないよう一定の配慮をすべきことが信義則上要請されている」と判断し、原告3名のうち1名に対して三菱電機の不法行為責任を認めました。派遣先にも一定の義務を課したもので重要な判断でした。派遣労働者を、モノのように切り捨ててはいけないという当たり前のことが認められたと考えています。

しかし、控訴審判決は長期にわたって原告らを受け入れてきた三菱電機の使用者としての責任は認めず、損害賠償についても一審で認められた2名について逆転敗訴させた点で、不当な判断でした。もともと労働者派遣法がずさんな法律だったことが、労働者がないがしろにされる最大の要因だと思います。まだ裁判は続きますので、この裁判で原告たちの権利を少しでも実現していきたいと思います。同時に、何でも派遣にして使用者が責任をとらないなんておかしいよねと当たり前にいえる社会をつくり、働く労働者の立場にたった労働者派遣法へと更に抜本的な改正を求めていくことも必要だと感じています。

人材派遣社員の残業代請求

弁護士事務所に持ち込まれる残業代事件は「残業代」は、タイムカードがきちんとそろっているような事件だけでなく、立証に非常な困難を伴う事件も多数取り扱っています。今回は、私が弁護士になって翌年に行った人材派遣会社に勤務する労働者の残業代請求事件です。

人材派遣会社というと、派遣労働者に働かせて、派遣料で楽をしているというイメージだったのですが、その最前線で働く人は過酷な労働環境でした。例えば、急な派遣の依頼に対応するために、深夜まで登録をしている労働者に電話をして探したり、事業所を離れた際も携帯電話を家に持ち帰って対応をしなければならない、朝は朝で朝の弱い派遣労働者に対してモーニングコールをしたりしていました。また、派遣事業所と言っても、一人か二人しか配属されていない所も多く、一人で様々な業務を行わなければばなりませんでした。交渉で解決をすることができず、訴訟を提起することになりましたが、その人材派遣会社は労働時間を全く記録をしていませんでした。

裁判では、労働時間を立証することは原告である労働者の側が証明しなければなりません。そのため、(1)FAX、メールの送信時刻、(2)警備システムの記録時刻、(3)派遣労働者の手配資料等の資料を一つ一つ当たって、個々の労働日の労働時間を立証するようにしました。すべての労働日の労働時間の証拠があったわけではありませんでした。このような作業は弁護士だけでできるものではなかったので、当事者の方にも協力をしていただいて作成をしました。

判決では、立証が難しかったこともあり、請求した金額のすべてを認容されはしませんでした。しかし、証拠資料に乏しい中で労働者の労働時間をどうやって証明していくべきかと言う点で工夫が求められた事件でした。

残業代等請求事件で1000万円以上の解決金で解決した事案

この事件は、運送会社の事案です。依頼者は、入社当初運転手として勤務をしていましたが、その後、課長に昇進し、運行管理等をしていました。課長昇進後は、給料は上がりましたが、いくら残業をしても残業代は支払われなくなりました。当初、依頼者の方は納得をし、時間外勤務を行っていましたが、些細なことで社長とトラブルになり、社長から嫌がらせを受けるようになったことから、労働基準法に従った対応を求めるようになりました。社長は依頼者の態度を不満に思い、たいした理由がないにもかかわらず、運転手に降格をしました。そのため、残業代、降格の無効(裁判提訴後、賞与の請求、解雇による地位確認)等を求めて裁判を起こしました。

裁判では、依頼者が、労働基準法の管理監督者に該当するのかが争点になりました。管理監督者に該当する場合には、残業代の支払いをしなくても良くなります。ただ、実際問題として管理監督者に該当する場合はそうそうありません。この事案でも、人事の決定権は社長にある上、出退勤も自由には決められず、給料も一般の従業員に比べて少しましな程度でした。そのため、基本的に裁判所は管理監督者ではないと言う方向で和解の話を進めることになり、最終的には残業代及び一定の期間分の給与、賞与などを加算をして解決をする事になりました。

残業代の請求は、場合によっては請求金額も高額になることもあります。多くの場合、企業側は管理監督者に該当すると反論をしてきますが、管理監督者に該当する場合はそれ程多くはなく、裁判で企業側の主張を否定する裁判例もたくさんあります。そのため、管理職であると言うだけで残業代の請求を諦めてしまうべきではなく、一度弁護士に相談をすることをお勧めします。

退職に伴う不当請求を阻止した事案

労働事件と聞くと、解雇や未払い賃金の問題が典型的に思い浮かぶかと思いますが、紛争のバリエーションは多岐に及びます。解雇や賃金といった問題は、労働者が、会社に対して請求をすることが多いですが、逆に、労働者が会社から請求を受けるという場合もあります。

事件の内容

依頼者は、比較的小さな製造会社に勤務し、1人で経理を担当していましたが、知人からの誘いもあり、転職を決め、同社を退職することにしました。しかし、依頼者が、退職の予定を伝えると、同社の社長は怒りました。すると、社長は、依頼者の退職に伴って帳簿、通帳、領収書などを確認した結果、不明金が存在しており、これは依頼者が横領したものだと主張し、会社から約50万円の請求をされました。また、その請求と最後の月の給料を相殺すると言って賃金の支払いも拒まれました。もちろん、依頼者は横領などしたことはなく、これは不当な請求だとして争うことにしました。

交渉の結果

まずは、賃金については一方的な相殺は違法だとして支払わせました。肝心な不当請求については、原本は会社が保管していましたが、依頼者も領収書の写しをこまめにファイルに保管していたことも幸いし、これと帳簿や通帳とを照らし合わせる作業をしたうえで会社に対し、不明金についての説明を行うことができました。依頼者が説明が困難な部分ついては、支払に応じて早期に解決して転職先で頑張りたいという意思もあり支払いをすることとはなりましたが、請求された大部分については減額させることができました。

上司のパワハラを訴えて会社が是正をした事案

問題上司に悩まされ・・・

近々に会社を退職するというAさんの労働相談。Aさんは月に数十時間の残業があるものとみなされ、定額の残業手当が支払われてきました。しかし、実際には残業手当が想定する数倍の残業があり、それについて一切残業代が支払われていないというものでした。もっとも、Aさんの相談の本丸は残業代ではなく、辞職の原因となった上司によるパワハラでした。

パワハラの相談はとても多いのですが、指導の範囲を超えて「違法」であると争うにはなかなか難しい事案や、録音等の客観的な証拠がなく、言った・言わないの話になり立証が難しい事案は残念ながら少なくありません。そんな中、Aさんはバッチリと録音を残し、職場に残る同僚の証言への協力もとりつけており、立証に申し分ありませんでした。何よりその上司によるパワハラの内容も人道的・刑事的にかなり問題があるものでした。

会社の意外な対応

そこで、会社に対して正規の残業代とパワハラに対する慰謝料を請求しました。会社は弁護士をつけたものの、ほとんど争わず、こちらの言い分をほぼ認めてきました。

上司によるパワハラは他の同僚にも向けられていたことを心配するAさんの希望もあり、和解書の中に、会社には法律上、労働者に対する安全配慮義務があるので、今後、ハラスメントが生じない職場環境を整えることを誓約するというような一文を入れるように要求したところ、会社はこれも受諾しました。

私は、会社は矛を収めさせるために形だけ受け入れたのではと疑っていたところもありましたが、会社は現に和解締結前から、本社から人を派遣し、上司の実態調査に乗り出していたようです。そして、社員からの聴き取りからも、上司の問題行動が明るみに出たようで、残った社員にも会社として正式に謝罪をしたほか、上司にも厳重な処分が下ったようです。

会社は予め労務問題が起きないよう努めることが一番ですが、社員からの請求をきっかけにでも自浄努力が速やかに・実効的に動くことは望ましく、こういう会社が増えることを期待しています。

【労働】変形労働時間制の主張を打破した事案

Aさんは本社を東京におき全国に工場をもつ会社に勤務し、名古屋の工場で働いていました。人手不足のしわ寄せで常に残業があるような状態でしたが、給与明細には一応、残業手当はついていました。Aさんはご家族の事情もあり会社を退職することになりましたが、退職前3か月の残業時間が100時間近くあったにしては、残業手当が過少ではないかと思い、相談に来られました。タイムカードをもとに未払残業代として100万円近くあると計算できました。そこで、会社に対して未払い残業代の請求を行いました。

 これに対して会社も弁護士をつけ、就業規則や労働協約を示し、1年単位の変形労働時間制を導入しているため未払い残業代は5万円程度にしかならないとの回答が来ました。労働基準監督署にも届け出がしっかりと出されているため難しいかとも思われました。

会社の意外な対応

 しかし、会社が説明に提供してきた変形労働時間制を導入する就業規則や協約の届出先は東京本社の所在地を管轄する労働基準監督署のものでした。そこで、Aさんの事業所を管轄する労働基準監督署の届出の有無を確認すると届出はないとのことであったため、Aさんについては変形労働時間制の適用が及ばないから通常のタイムカード通りの残業代を認めるべきだと交渉したところ、これが受け入れられ満額に近い金額での示談が成立しました。

労働災害(労災)

移動式クレーンのワイヤ破断による労災死亡事件

Nさん(26歳)は、工作機械を製造する工場で交替制勤務で働いていました。奥さんとの間には3歳、生後半年の子どもがいました。

平成27年4月、工場内で移動式クレーン(釣り下げ限界荷重14トン)に重量6トンの金型を吊り下げていたところ、同クレーンのワイヤロープが切れて金型が落下し、金型がNさんを直撃。下敷きになったNさんは病院に救急搬送されましたが、間もなく亡くなりました。

同事故について、ご遺族から会社に対する損害賠償請求の依頼を受け、名古屋地方裁判所に民事訴訟を提起し、平成28年11月、和解が成立し解決しました。会社側は、和解の中でワイヤロープを構成する素線が劣化してロープの破断をもたらしたという原告側の主張を認め、労災補償給付とは別に損害賠償を行いました。さらに、会社の本社工場に遺族を招き、代表取締役社長が謝罪するとともに、事故現場で黙祷を捧げ、安全管理担当者が事故再発防止のために講じるべき措置等について説明を行いました。

いつも思うのは、必要な措置を講じれば事故を未然に防止することができたのに、なぜそれを死亡事故が発生するまでできないのかということです。この事案では、死亡事故後、会社はワイヤロープの劣化を検査する精密な機械を導入しました。この装置はきわめて高額なであり、労働安全衛生法で義務づけられたものではなかったこともあって、事故当時は導入されていませんでした。しかし、人間の命はかけがえのないものです。労働者の命が利益追求の陰で犠牲となっていないか。労働安全衛生法規は、労働者の命と安全を守るものとなりえているか。弁護士としてこのことを今後も問い続けていきたいと思います。同時に、労働現場のあり方の変革が必要であることを痛感します。会社主導の安全衛生委員会等による労働安全衛生向上の取り組みも必要ですが、下からのチェックも不可欠ではないかと思います。

労働災害訴訟で逆転勝訴判決を得た事案

2017年2月9日、名古屋北法律事務所が受任していた労災事件で、労働基準監督署の行った不支給処分を取り消す判決が出ました。この事案は会社に併設された大浴場の清掃を行っていた依頼者が、清掃作業中に浴室に足を滑

らせて腰を打ち付け、ガングリオン(一種のこぶ)を発症した事案です。労災を申請をしましたが、労働基準監督署が業務上の怪我と認めなかったので、訴訟となりました。

裁判は1審事件では、依頼者が個人で訴訟を行いましたが、地方裁判所は訴えを棄却しました。一審判決は事故の態様、依頼者の既往症、ガングリオンの病態等から業務によって発症したものではないとしました。控訴審から弁護士が代理人となり、依頼者の既往症は影響しないこと、ガングリオンの病態等について全般的に主張を見直した結果、本日、一審判決を取り消して、労働基準監督署の行った不支給処分を取り消す逆転勝訴判決を獲得しました。

研究開発職の過労死の事案(過労死)

過労死は多くの場合、背景に長大な労働時間がある場合がほとんどです。労働災害の認定基準でも労働者の時間外労働時間が1か月80時間を超える場合には、心筋梗塞、脳内出血などの脳心臓疾患の業務との関連性が肯定されやすくなります。この事件は、健康食品・飲料の製造・販売を行う会社で、亡くなられた方は研究開発に従事し、何件かの特許にも関与していました。また、新規の研究施設の立ち上げの仕事にも従事していました。

この事件では、会社は一定の役職以上になると、従業員の労働時間管理が全くなされなかったため、正確に労働時間を記録した資料がありませんでした。ただ、遺族が尽力をし、自ら会社に乗り込んで被災者が生前使用していたパソコンのデータやメールなどの記録を回収して証拠保全するほどでした。データの中には、パソコン上のファイルやフォルダの更新時間から、労働時間を推定し、かなりの長時間労働を行っていることが判りました。

訴訟段階では、裁判官は、労災認定が出ていることから、和解による解決について訴訟のかなり初期の段階から勧め、会社の社長を呼ぶように代理人に指示し、和解に応じるように説得をしました。最終的に、こちらの請求金額に近い金額の和解金の支払いだけで無く、会社側が労災認定処分を重く受け止め、遺族に対し心から謝罪の意を表明し、労働時間の適正な管理を定めた各種通達を遵守する条項も挿入されました。謝罪文言、各種通達の遵守がきちんと規定される和解条項は非常に珍しいものでした。

アスベスト吸引による労災申請

アスベスト粉じんの吸引による労災

アスベスト(石綿)は、かつて、「夢の鉱石」と謳われ、建物に多く使われてきました。しかし毒性が強く、肺がんや中皮腫等を引き起こすことがわかり、現在では新たな使用が禁止されています。昔建てられた建物にはアスベストが使われていたため、建設業や解体業の労働者が、業務中にアスベスト粉じんを吸い込み、それが原因で数十年後に肺がん等を発症して社会問題化しています。業務に関連してアスベストを吸引し、そのために疾病を発症し、療養や休業を余儀なくされた場合には、労災補償の対象となります。

約30年前のアルバイト

ある日息苦しくなって病院に行ったところ中皮腫と診断されたという方から相談を受けました。中皮腫はほとんどアスベストを原因として発症し、急速に進行する肺の病気です。職歴や生活歴を振り返ってみると、どうやら約30年前の学生時代、建物の廃 材を用いた埋立工事の現場でアルバイトをしていた際にアスベスト粉じんを吸い込んだようだということがわかりました。

アスベスト被害対策弁護団と共同しての事件解決

中皮腫がアスベストを原因として発症したことは疑いないとしても、当時学生であったご本人がアスベストを吸い込むような仕事をしていた事実をどう説明するか、という点が問題となりました。約30年前のアルバイト先の会社はすでに存在しておらず、埋立工事に関する当時の資料も残っていませんでした。 アスベスト被害対策弁護団の弁護士と共同して受任し、元従業員の方のご協力を得たり、ご本人の詳細な陳述書を作成したりするなどして労働の実態を 立証し、労基署に直接出向いて、なんとか労災認定を勝ち取ることができました。

工事現場転落事故の事案

事案の概要

X(24歳)さんが、足場(地上約8メートル)から転落して頭部を強打し、脳挫傷、脳高次機能障害の後遺症を負い、寝たきりの状態になりました。労災認定は受けましたが、事故現場の安全対策が全くなされていないと考えられたため、会社と元請け会社に損害賠償を請求する調停を提起しました。

元請の責任

直接の雇用先である下請け企業は零細企業で賠償能力がないため、元請け会社の責任が争点となりました。元請けは、法令を遵守している、Xさんが足場を使わず三回足場から二回足場に移動しようとしたために発生した事故であり、労働者の過失であると主張しました。

調停の経緯

取り寄せた労災認定資料等を調査した結果、足場のはしごに安全ネットが緊結されていたため、作業員が足場からはしごへスムーズに移動できない状態であったこと、足場の床板の幅が基準より狭かったこと、被災者だけでなく他の作業員も同様の方法で足場3層目から2層目に手すりを乗り越えて降りていたにも関わらず現場監督は何等注意せず黙認していた事実等が判明したため、これに基づき元請け会社の責任を追及しました。

最終的には、調停委員会から、主として元請けの足場管理に事故原因があり、労働者の過失は小さいという事実認定を前提とした和解案が提示されたため調停成立となりました。

中国人実習生の労災事件

増える外国人実習生労災

外国人研修・技能実習制度は、開発途上国へ日本の技術を移転することを目的に、外国人が日本の企業で働く制度です。制度としては、国際貢献・国際協力を目的に設計されていますが、実態としては、低賃金労働者として利用されています。特に、製造業の現場では、機械の操作など危険をともなう作業も行うので、本来ならば、日本語研修や実地研修も十分に行わなければなりませんが、これを怠る企業も多く、実習生の労災事故も多くなっています。

将来の経済成長を加味した水準で

名古屋北法律事務所では、自動車部品を扱う製造会社に受け入れられていた中国人実習生の労災事故の裁判を受忍しました。この事件は、労災事故の賠償金算定の基準となる平均賃金をどう考えるかが問題となりました。

外国人の交通事故などでも争われることがありますが、一時的に日本に来日し母国への帰国が予定されているケースでは、将来生活の本拠を置く国を基準にするという最高裁判決があります。しかし、現在の中国の農村の賃金水準では極めて低い水準となってしまいます(日本の約20分の1)。裁判では、中国の経済成長の実態なども様々な資料も提出し、中国水準としても将来の経済成長を加味すべきと訴えてきました。判決では、日本水準の25%まで認められる成果が得られました。

相続・遺言、成年後見

1000万円の特別受益が認められた事案

Aさんの父親が亡くなり(母親はすでに数十年前に死去)、相続人であるAさんとCさんの間で遺産分割の話し合いを試みたが、話がまとまらず、弁護士に相談に来て解決に至ったという事案を紹介します。

Aさんと父親は同居し、Aさんは父親が亡くなるまで父親の介護をしていました。Cさんは進学を機会に早々に県外に出てしまい、それ以来、父親たちとは別居していました。父親の遺産としては、居住していた土地と建物、預貯金、投資信託があり、AさんとCさんで、分割の割合は半分ずつにするということ自体に争いはありませんでした。しかし、Aさんは、生前、父親からCさんに一軒家の購入資金を出したという話を聞いていたため、この贈与について、特別受益の有無が争いとなっていました。

交渉の結果

弁護士が入り、分割方法の協議に入り、特別受益についての交渉に入りました。Cさんからは、父親からまとまった金銭の援助を受けたが、Cさんの妻と子宛てであり、自身への援助とは無関係で特別受益には当たらないと主張しました。通帳の履歴を見ると、現に、合計して一千数百万円の送金がありましたが、送金先はCさんの妻と子となっていました。原則として、特別受益は相続人のみを対象としていることを知ってそのような形をとったものと考えられます。しかし、裁判例上も、形式的には特別受益に当たらなくても、実質的には相続人への贈与とみることが出来る場合には特別受益とみるとの扱いがあるため、調査を進めることにしました。

そこで、Cさん自宅の土地建物の登記を調べたところ、Cさんの妻と子への入金のわずか数日後に、無抵当権で売買契約がなされ、Cさんの単独名義の登記がされていました。この事実をCさんに突き付けると、父親からの援助は一軒家の購入資金に充てたものであり、実質的にCさんに対する贈与で、特別受益であること認めました。結果として、特別受益を反映した金額での分割案で合意ができ、Aさんは適正な財産を相続することができました。名古屋北法律事務所では所属弁護士が特別受益を争う相続事件に取り組んでいます。

危急時遺言作成により生前世話になった夫の親族に遺贈できた事例

年末の緊急相談

ある年の仕事納めの日、知り合いの医師から緊急の相談がありました。お話を伺うと、「自分の受け持ちの患者さんで、状態が良くないのでこのまま 退院できないかもしれない人がいる」「ある程度の財産があるようだが相続人がおらず、親身に世話をしてくれた夫の親族に全財産を譲りたいと言って いる」という相談でした。

すぐに病院に行ってその方にお会いすると、意識ははっきりしていてお話はちゃんとできて、「よく面倒を見てくれた夫の弟に全財産をあげたい」と はっきりおっしゃいました。けれども、字を書くことができないほど体は衰弱しており、自筆遺言証書や秘密遺言証書を作ることはできない状態でし た。まだまだお元気そうで一日を争うほどではないと思ったので、年明けに公証人に病室まで来てもらって遺言書を作ってもらいましょうか、という話をしてその日は帰りました。

突然の容態悪化と危急時遺言

ところが年末年始に急に容態が悪化し、1月4日に病院から電話があり、すぐにでも遺言書を作成したいとのことでした。そんな急には公証人も間に合いません。

そこで思いついたのが、民法976条の死亡危急時遺言です。死亡危急時遺言とは、「死亡の危急に迫った者」が遺言をしようとする場合の特別規定 で、遺言者が口頭で述べることを三名の証人が聞き、そのうちの一人がそれを書き取って、ほかの証人が間違いないことを確認し署名捺印するという特 別な方式の遺言です。

翌1月5日に、私を含め証人三人(私以外は主治医と当事務所の事務員)が病室で遺言者から話を聞いて、その内容を書面にまとめ、遺言書を作成し ました。ほっとしたのもつかの間、この遺言書作成で安心したのか、翌1月6日に遺言者は亡くなられました。ぎりぎり間に合った、という感じでした。自分の財産をお世話になった人に遺したいという最後の意思がかない、本当に良かったと思います。名古屋北法律事務所では所属弁護士が積極的に相続や遺言、成年後見に関わっています。

「争続」ではない相続事件のお話

相続の相談でいらしたAさん

Aさんは、父Bさんが亡くなり、ご相続の相談にみえました。相続人はAさんと3人の仲のよいご兄弟の合計4名でしたが、重度の精神障害で入院中の弟Cさんのことと相続税の支払いでお悩みでした。

超高速!成年後見申立

Cさんを交えて遺産分割協議をするには、Cさんの利益を保護するため、成年後見人を選任しなければなりません。しかし、Bさんは資産家。かなりの相続税を支払うことになりそうです。相続税の申告期限は、死亡後10か月ですから、あまり時間がありません。そこで、すぐに家庭裁判所の予約を取り、なんと受任して11日後に成年後見人選任審判の申立をしました。しかも申立が完璧であったためか、調査官による病院での面談がありながら、なんと申立から2か月足らずで審判が確定、成年後見人がD弁護士に決まりました。

餅は餅屋に

そこで、D弁護士をCさんの法定代理人として遺産分割協議書を作成し、これに従い、Bさんの預貯金の払い戻しなどを私が担当、不動産の名義書換えを司法書士に頼みました。ところが相続税の計算を税理士に依頼したところ、Cさんの障害者控除などを最大限に利用し、なんと相続税額をゼロに抑えて頂けたのです。

こうして専門家のパワーを集結し、期限内に相続税ゼロの申告ができました。「争続」ではない相続事件は最後までさわやかに終了したのでした。

信託を利用した成年後見の事案

後見制度支援信託とは

後見制度支援信託とは、被後見人となられた方(ご本人)の財産のうち、日常的な支払をするのに必要十分な金銭を預貯金等として後見人が管理し、通常使用しない金銭を信託銀行等に信託する仕組みのことです。財産の管理・利用の適正を図るためには、弁護士などの専門職後見人を選任するという方法もありますが、この信託を利用する方が経済的なコストは低いとされています。また、財産の大部分を信託銀行が管理することにより、後見人による使い込みなども防げることから、2011年4月の導入後、裁判所も積極的に推進しています。

事例

まだ制度が導入され間もない頃、この制度を利用する事件を受任しました。おそらく愛知県内でもまだ2件目か3件目という珍しさでした。

ご本人の財産が預貯金のみであったことから、裁判所は支援信託の利用が適していると判断し、後見人としてご本人の家族(親族後見人)とともに私(専門職後見人)を選任しました。私の役割は、支援信託の利用の適否を判断し、適当であれば信託契約を締結し、親族後見人に引き継ぐことです。信託契約は、信託銀行との間で締結します。そこでどの銀行が最も良いサービスを提供するか比較検討をしなければならないのですが、当時はまだどの銀行もこの制度について詳しくなく、サービス内容を把握するだけでも一苦労でした。

無事、契約を締結し、親族後見人にバトンタッチをすることができたわけですが、やはり一般の方は信託契約になじみがなく、また裁判所と直接やり取りをしていくことも負担であることから、その後も継続的に相談をお受けしていました。ご本人のための柔軟な財産管理ができないことなどから、支援信託制度には批判もありますが、利用が進められている以上、弁護士として適切な運用に関わっていく必要があると感じた一件でした。

身寄りのない認知症高齢者に寄り添った事案

名古屋北事務所では、身寄りの無い高齢者の方の財産管理の事件を多く行っています。

Aさんは、県営住宅に住む86歳の女性です。夫に先立たれ、時々、亡父と先妻との間の子や姪っ子が様子を見に訪ねてくれます。体が弱り、3階建てのエレベーターのない団地の階段の昇降が厳しくなり、在宅介護や配食サービスを受けていました。しかし、物忘れが激しくなり配色されたご飯が冷蔵庫に手を付けられないまま残っている日が増えました。団地の建て替えのため引っ越ししなければなりませんが、何度説明しても転居が必要であることを理解してくれません。このままでは大変と気付いたヘルパーから紹介を受けた高齢者の特定非営利活動法人権利擁護支援ぷらっとほーむの依頼で相談を受けました。

担当弁護士は早急に後見人を選任し、介護付きの老人ホームを探して入居させ、団地の引っ越しを行う必要があると判断し、本人を団地に訪ねましたが、自分の預金がどこにあるのかも忘れていました。

後見人選任の家事審判の申立の準備に入りましたが、その後、本人が息苦しさを訴えたため診察をうけたところ、肺機能が低下していることが判明。急遽、ぷらっとほーむと相談し、ショートステイを利用しつつ入居先の老人ホーム探し。幸い介護付き老人ホームが見つかり、ぷらっとほーむの担当者と一緒に施設に出向き、ちゃんとした医療サービスが受けられるか、入居費用が本人の年金で賄えるかを確認し、契約締結を済ませました。また、主治医のクリニックを訪ね、本人の病状、治療方針の説明を受けました。住み慣れた団地での生活に別れをつげましたが、老人ホームで安心して生活できるようになりました。

熟慮期間経過後の相続放棄が認められた事件

Aさんは、ある日、長らく疎遠だった親戚が数年前に莫大な借金を遺して亡くなっていた、と知らせを受けました。配偶者や子どもなど、近しい親族が次々に相続放棄をした結果、相続人の地位が遠く離れたAさんのところまで回ってきたのです。 突然、多額の負債が降りかかってきたことにAさんは仰天しました。もともと心身の状態が悪かったのがさらに悪化してしまい、飲んでいた薬の副作用で頭がぼーっとしていたこともあって、知らせを受けてから3か月以内に裁判所に対して相続放棄の申述書は提出したものの、書類に不備がありました。  裁判所から補正を促す連絡が何度も届いたのですが、Aさんは書類の内容を理解できる状況になく、生活にも困窮していて電話も止められ、どうしたらよいかわからずにいたところ、相続放棄の申述を却下するとの審判が出されてしまいました。 そうした状況でAさんが当事務所に相談に来られたので、法テラスを利用して受任しました。  相続放棄申述の却下審判に対する即時抗告をするとともに、家庭裁判所に対して改めて相続放棄の申述を行いました。この時点では、親戚の死亡を知った日から3か月は過ぎていましたが、3か月以内に補正できなかった事情を詳細に説明して、無事に相続放棄の申述が受理されました。即時抗告は取下げをしました。  Aさんが平穏な生活を取り戻せて、本当によかったです。突然、債務を相続したと言われれば誰でも混乱すると思います。お気軽に名古屋北法律事務所にご相談ください。

相続開始前に預金が引き出されていた事案

Aさんの母親が亡くなり、相続人であるAさんと弟のBさんとの間で遺産分割の話し合いをしました。 母親の遺産はほぼ預金のみだったのですが、ほとんど残金がありませんでした。 Aさんが預金の取引履歴をとりよせてみると、母親の存命中に、何年もかけて母親の預金口座から3000万円以上が引き出されていたことがわかりました。 母親は要介護状態で、そんなにたくさんのお金を使う理由がなかったため、母親と同居していたBさんが引き出して使ったのだろうとAさんは考え、弁護士に相談に来られました。 そこで、Aさんの代理人となり、Bさんに対し、母親の生前に引き出した 多額のお金については、母親の意思にもとづかないでBさんが勝手に引き出したのだから返せ、と不当利得返還請求訴訟を提起しました。 訴訟の中で、Bさんは引き出したのが自分であることは認めました。お金を何に使ったか説明してもらったところ、Bさん自身のために使ったものもたくさんありました。 最終的には、和解で解決し、Bさんが引き出したお金のうちある程度は返してもらうことができました。 もともとは、不当利得返還請求訴訟が終わった後、あらためて遺産分割調停を申し立てる必要があったのですが、訴訟の中で遺産分割の意味合いも含めた和解をすることができました。

離婚問題

別れた元配偶者からの財産分与請求〜在日韓国人離婚の落とし穴〜

離婚後5年以上たってから財産分与!?

日本でも韓国でも、財産分与を請求できるのは離婚後2年間とされています。在日韓国人のAさんは、離婚後5年以上が経ってから突然財産分与調停を起こされ、相談に来られました。

韓国で離婚手続きをしないでいたら・・・

ともに在日韓国人のAさん夫妻は、日本の役場に離婚届を提出しただけで別れ、それから5年以上経ってから韓国領事館で離婚手続をしました。夫妻の家族関係登録には、領事館での届出日が離婚日と記載されました。ここに目を付けた元配偶者が、離婚後にAさんが取得した財産を分割すべきだと主張してきたのです。

韓国法の手続きをしないと離婚と認められないけれど・・・?

調停では、Aさん夫妻の離婚日は、日本と韓国のどちらで届出をした日かが争点に。在日韓国人の離婚は韓国法によるものとされており、韓国では、協議離婚でも法院(裁判所)の意思確認が必要で、日本で離婚届を出しただけでは有効な離婚と認められないので問題となったのです。

しかし、実は在日韓国人同士の場合、2004年9月19日までは、韓国大法院戸籍例規第322号で、日本の離婚届を出しただけで韓国法上も有効な離婚と認める取扱いがされていたので、この日よりも前に離婚届を出していたAさんは財産を守ることができました。

離婚ができなかった離婚事件の話

暴力が日常の家庭

Aさんは70歳代の女性。22歳で見合い結婚をして50年ほど。結婚当初から、夫は家庭内では暴君で、すぐにAさんに対して殴る蹴るの暴力をふるいました。夫の仕事が長続きせず十分な収入のない中、Aさんは夫と一緒に働きながら子どもたちを育て上げました。

自由のない生活の辛さ

一番辛かったのは常に行動を監視され制限されたことでした。Aさんは洗濯物を干すために一人でベランダに出ることさえ許されませんでした。夫は、地元に職がなく遠方に出稼ぎに行くことになると、Aさんに同行して同じ工場で働くよう命じました。Aさんは半世紀近くの長い間、この夫から逃げることはできないと諦めていました。

意外な転機と意外な結末

数年前、Aさんは癌が見つかって入院し、そこではじめてAさんは夫婦関係の悩みを病院の職員に話しました。そして他人の共感を得たことで、夫の元から去ることを決意することになったのです。ただ、その後Aさんは離婚の調停を申し立てましたが、高齢の夫が病気に倒れ寝たきりになったため、調停を取り下げ、結局、離婚はできませんでした。

周囲の助けが必要です

自由を知ったAさんはとても明るく、いつも他人への感謝の言葉を口にされていました。自分のために時間をつかう喜びを知りました、私は今はじめて人生を生きています、と言っていただいたことが忘れられません。

典型的なDV(家庭内暴力)家庭でしたから、もしもっと早くAさんが誰かに相談できていたならば、もっと早く自由な生活ができていたでしょう。DVの被害者が勇気を出して踏み出すには周囲の気づきと励ましが必要です。弁護士にももっと気軽に相談にきていただきたいと切に思った事案でした。

別居後の養育費請求の事案

Aさんは、夫の不貞行為が原因で、数年前に調停で離婚し、小学生の男の子を一人で育てているシングルマザーです。離婚後やっと落ち着いてきたと思ったら、元夫からの養育費が遅れがちになり、ついにまったく支払われなくなりました。

最近の傾向として、養育費の請求事件が増えています。養育費は、未成熟な子どもが生活するために必要な費用のことです。離婚して別居しても親子の縁は切れませんから、親である限り子どもの扶養義務として生活費の一部を負担することは当然の責務なのです。かつては養育費の取り決めをして離婚する夫婦は3割程度でした。しかし子どもの貧困、とりわけ母子家庭の経済状況は厳しく、片親だけで子どもの生活を丸抱えするのはたいへんだという事情もあり、離婚後も養育費をもらおうという意識が高まっているようです。養育費の金額は、裁判所で決める場合には、簡単な算定表をもとに決められることが多く、子どもの年齢や双方の収入に応じた負担をすることになっています。

Aさんの場合は、色々な事情を加味して、相当譲歩して養育費を決めました。それでも支払わないなんて許せないというのが、Aさんの言い分です。調停や審判で決まった養育費の不払いは、まずは家庭裁判所の書記官に履行するよう相手に勧告してもらうことができます。それでも支払いがなければ給料の差押えなどの強制執行をすることにならざるをえません。Aさんの場合は、履行勧告をしたところ、元夫側は、給料が大幅にダウンしたということで、元夫側から家庭裁判所に養育費の減額の調停を申したてることになり、そこで話し合うことになりました。しかし、突然、何の連絡もなく養育費を止められたAさんは話し合いをする気持ちになれません。結局、調停はまとまらず、家庭裁判所の審判で少し減額した養育費が決まりました。

入ってくると思っていた養育費の支払いがないと、それをあてにしていた方は、生活に大きな支障を来してしまいます。万が一、約束した養育費の支払いができなくなったときは、必ず養育費の減額の話し合いの機会をもつようにしていただきたいものです。

交通事故

後遺障害非該当を異議申立により覆した事例

後遺障害

交通事故賠償の実務においては、後遺障害の認定というものが非常に重要な意味を持っています。「治療を続けてももうこれ以上良くならない」という状態になったとき、後遺障害に認定されれば、その後遺障害についての慰謝料や、収入への影響(逸失利益)が、損害として認められることになります。

交通事故によるけがで最も多いのが、いわゆる「むち打ち」(頚椎捻挫)という症状ですが、これは治療を続けても完全には治らないということがよくあります。そうしたとき、被害者としては後遺障害として認めてほしいと思うのが常なのですが、認定を行う機関は、単なる自覚症状だけでは、なかなか後遺障害としては認めてくれない(これを「非該当」と言います)実情があります。

事案

そんな「非該当」の判断を受けた方について、異議申立てを行うことにより覆した事例を紹介します。

依頼者は、非該当の結果に不満を持ち、当事務所に来られました。CTやMRIといった画像上での異常は認められず、頸部の痛みや手足のしびれと言った自覚症状だけが残存しているという状態でした。そこで、私は、通っていた病院のカルテをすべて取り寄せ、その内容を子細に検討し、被害者が現在の症状を一貫して主張していることを確認するとともに、現在の日常生活への影響を訴える陳述書も添付するなどし、異議申立書を作成しました。

その結果、幸いにして、14級9号という後遺障害に該当するという判断を得ることができました。14級は、後遺障害の中でも最も低い等級ですが、慰謝料や逸失利益として得られる賠償は、決して小さくありません。

粘り強い主張とそれを裏付ける資料により、一旦なされた後遺障害の判断を覆すことは不可能ではありません。このような事例は他にも多くありますが、良い結果を得ることができたのは、被害者の方の強い熱意と根気による後押しがあったからだと思います。名古屋北法律事務所は後遺症の認定を覆した事案の経験も多数あります。

過失割合が争点となり訴訟で大幅な増額を勝ち取った事例

事案

事案は、高齢者の方(依頼者)が被害者となった交通事故です。車道をバイクで走行していた加害者と衝突しました。被害者は、事故により重い後遺障害を負いました。頭部外傷後の「高次脳機能障害」により、やがて事故の記憶を述べることすら困難な状態になりました。損害額は、将来の付添看護費用や慰謝料を中心に、数千万円に上りました。

争点

争いになったのは、事故の状況です。

被害者がバイクと衝突したとき、自転車に乗っていたのか、それとも自転車を引いて歩いていたのか。また、衝突の場所は、横断歩道からどの程度離れていたのか。こういったことが問題となったのですが、如何せん、被害者の方からは、後遺症の影響で明確な記憶を引き出すことができません。事故の状況は、加害者との間の過失割合に影響し、被害者の過失が大きければ、得られる賠償額も大きく減少してしまいます。加害者は、「被害者の側に80%の過失がある」と主張し、譲りませんでした。他方、私たちも、「証言できない人が不利に扱われてしまうようなことがあってはいけない」という思いから、過失割合については一歩も引きませんでした。

訴え提起から和解へ

話合いでは解決に至らず、争いは訴訟へと場を移しました。

私たちは、実況見分調書などの警察の資料や事故直後の話などから、考えられる事故状況を具体的に主張しました。加害者の尋問などを経て、裁判官は、過失割合について被害者に有利な心証を抱くに至りました。裁判官から提示された和解案では、被害者の過失は3割に留まりました。その結果、賠償額は、加害者側から提示された金額から約4000万円の増額となりました。

もちろん、たくさんのお金をもらっても被害者の方の体が元に戻るわけではありませんが、被害の回復に向けて、精一杯の成果を勝ち取ることができた事件でした。当事務所は、上記の外、多数の交通事故事件の経験を蓄積しています。

中小企業

ある企業倒産事件、事業譲渡等

90年代のバブル崩壊後、経済不況が長引き、事務所でも個人・会社の倒産処理事件が激増した時代がありました。01年に名古屋北法律事務所が設立された時はその最中。多くの倒産処理案件を手がけることになりました。

企業の経営状態が悪化し、銀行融資はおろか買掛金の支払いや従業員の賃金の支払いにも支障を生じた場合、一定の運転資金が確保でき大口顧客の支援が期待できて最小限の売上の確保に目処がつく場合には民事再生手続(以前は「和議」といっていました)を申し立てることになります。そうでない場合には、自己破産の手段を選択します。ある会社(甲社)では、自動車様々な部品の金型を製作して納めています。従業員は、パート、派遣等を含めて20名程。会社が出した手形が2週間後に不渡りになることが確実な段階で相談に来られました。

社長に同行し、工場を見に行きましたが、立派な工作機械が稼働し、老若男女の従業員が働いています。破産になれば、工作機械はスクラップになり、社員の雇用が失われる。それを回避するため、会社の取引先の乙社の社長と事業譲渡の交渉が始まりました。

秘密保持の覚書を手交して甲社の計算書類、社員の賃金規定等を全て開示。乙社は、税理士を交えて検討した結果、有利子負債を減らして当面の運転資金を補填すれば、何とか採算が確保できるという見通しが立ちました。社員の雇用も全部引き継げるということに。工作機械、設備、車両等の査定、在庫部品の評価等について協議し、売却金額を決めました。工場は借家ですから大家さんの同意が必要となり交渉したところ、乙社は信用できるので新たに賃貸借契約を締結することを承諾。破産申立直近の時期に会社資産を不公正な価格で譲渡した場合には(会社資産を叩き売りした場合等)、破産管財人から売却を取り消されます(否認権)。そこで、事業譲渡契約では、後日、管財人に対する説明責任、譲渡価格の見直しのための協議を行うことを条件としました。これらの準備を整えた上で破産の申立を行いました。

破産によって銀行や多数の債権者に御迷惑をおかけすることになりましたが、従業員の雇用は維持でき乙社で今も働いています。

東北大震災の風評被害による損害賠償事件

2011年3月11日の東日本大震災で津波と共に大きな被害をもたらしたのが、原子力発電所の事故でした。その一つが風評被害です。「福島産の農産物、魚は危ない」という風評が一挙に広がり、多くの農家、漁師がダメージを受けました。名古屋北法律事務所が依頼を受けたのは、会津地方で養豚業を営んでいる甲さんです。

震災当時、甲さんは、岐阜県の農場と提携しながら、伝染病に強い豚への品種の変更を計画し、新しい設備投資を行う準備を設備業者等と進めていました。補助金を申請する準備も進めていました。しかし、震災で全ての計画が駄目になったのです。

まずは東京電力に交渉をもちかけましたが、「会津まで風評被害が及ぶとは考えにくい」「損害の証明が不十分」等ということで十分な対応が示されなかったため、東京の「原子力損害賠償紛争解決センター」に和解仲介手続を申し立てました。最大の争点は、損害額です。損害額は、被害者が証明しなければなりません。「原発事故がなく、設備改良、豚の品種変更が予定通り行われた場合に得べかりし利益」が幾らであった蓋然性があるかをを立証するため、養豚業者の協力を得てシュミレーションを作成して提出し、仲介を担当した弁護士の斡旋によって東京電力が相当額の賠償を行うことで和解が成立しました。

消費者問題

金融ADRを利用した事例

為替デリバティブ取引

平成16年頃、メガバンクや地銀は、主として貿易業務を行っている企業を対象として、積極的に「為替デリバティブ」取引を売り込みました。この取引はもともと、為替変動による損失リスクをヘッジ(回避)するための手段として用いられるものでしたが、当時の銀行は、純粋な投機のための金融商品として、貿易と関わりのない企業に対してまで、この取引を勧誘していました。

私たちが担当した案件でも、銀行の担当者は「〇〇社さんに儲けさせてあげる。今のドルのレートが続けば毎月30万円入ってくる」という触れ込みで、小さな会社に為替デリバティブ取引を持ちかけていました。この取引の恐ろしいところは、為替の変動次第で、損失が無限に拡大していくことです。さらに、損失が出たからと言って、途中で解約することは原則としてできません。

金融ADRの利用

先ほどの会社は、当事務所に相談に来られた時点で、すでに1億円以上の損失を出していました。当時は、極端な円高傾向が続いており、このまま行けば損失はさらに拡大していく一方であることが明らかだったため、早急な対処の必要がありました。

そこで、損害の賠償を求める通常の裁判ではなく、「金融ADR」の利用を選択しました。この制度は、裁判のような強制力はありませんが、金融機関との間のトラブルに関し、金融分野に知見のあるADR委員の下、迅速かつ柔軟な解決が期待できるメリットがありました。

解決

担当のADR委員は、こちらが提出した資料から、今回の取引に問題があったことを理解し、相手方銀行に過失を認めるよう説得に当たりました。その上で、通常はできない中途解約を、こちらに有利な条件で認める内容の和解が成立することになりました。申立てから4か月程度という、裁判では考えられないスピードでの解決となりました。

高齢者にリスクを説明しないまま高額の投資を勧誘した事案

70代のAさんは、定年退職後、一人暮らしをしています。近隣に身よりはなく、遠方にきょうだいがいるのみで、慎ましく暮らしながら、細々とユニセフへの寄付を続けてきた。

物忘れのために通院を始めたばかり矢先、自宅にファンドの勧誘員がやってきた。インターフォンを通して、「年間6%の配当があるファンドがある」などと勧誘を受けたAさんは、お金の話を人に聞かれたくないと思い、勧誘員を自宅に招き入れてしまった。「出資すれば、年間6%の利益が出て毎月配当がもらえる」と繰り返され、リスクの説明はまったくない。Aさんは、ユニセフへの寄付を増やせると思い、退職金があると話すと「1000万円なら毎月6万円くらいになります」と自信満々の答えが返ってきた。勧誘員はAさんの趣味である折り紙にも目敏く気付き、一緒に鶴を折ってくれた。Aさんはすっかり彼女を信じ、意味もわからないまま株式、FXなどに投資する匿名組合契約書にサインして、その日の内に1000万円を渡してしまった。

心配した元同僚に連れられて相談に見えたAさんは、元本割れのリスクを認識すると全額を取り返したいと言われた。早期に相談に訪れたことが幸いし、消費者契約法に基づく取消を主張して、1000万円を取り返すことができた。

問題の業者は、「金融庁への届出」をしている事をふりかざし、Aさんを信用させていた。なんと、Aさんはお金を取り戻した数日後、同じ勧誘員に今度は800万円を渡してしまった。優しい勧誘員に絆されてのことである。無知のみならず寂しさにつけこむ高齢者への詐欺の恐ろしさを知り、2回目の交渉は何度もAさんに電話してお話をしながら進めていった。お金を取り戻すことはでき、Aさんは本件を機に財産管理契約を結び、財産保全措置を講じている。

刑事少年

とある2件の窃盗事件

似ている(?)2つの窃盗事件

国選弁護人としてついたAさんとBさんを紹介します。

Aさんは、スーパーで弁当など数千円分を万引きした件で逮捕されました。Aさんは、過去にも裁判で有罪となったことが2回あり、そのいずれもが窃盗でした。刑務所を出所後、生活保護を受給して生活していた方でした。Bさんは、換金目的で自転車を窃盗した件で逮捕されました。Bさんも過去に何度も裁判で有罪となったことがあり、やはりすべてが窃盗でした。そして、この方も刑務所を出所後、生活保護を受給されていた方でした。

Bさんの案件が私のもとに来たときは、また、Aさんみたいな感じかなと思っていましたが、お話しを聞いているとその2人は随分違ったものでした。

異なる2人の実態

話をきくと、Aさんは、生計困難者の自立を支援するために無料か低額で貸し与えられる簡易住宅である「無料低額宿泊所」に入居している方でした。この施設は社会福祉法に基づく自立支援のための施設なのですが、中には、本来の趣旨から外れて、ビジネスとする業者もいます。Aさんの入居先も11万強ある保護費から、家賃や共益費など様々な名目で天引き、Aさんの手元には2万円が残るだけという状態でした。もっとも、Aさんはやりくり上手で、お金が尽きて窃盗に及んだというわけではなく、少ない手持ちからお金が減るのが嫌で窃盗に及んだというものでした。

他方、Bさんは、ひとり暮らしで、保護費から自由に生計を立てることができたものの、無計画にアイドルのCDなど欲しいものはとにかく購入していていました。ただし、欲しいものを購入してばかりなので月末には無一文になるため、物を盗んで換金して月末の生活費にあてる、そんな生活でした。

弁護活動を経て思うこと

Aさんは、多額のピンハネさえなければ十分に自活できる方で、もし自由に使えるお金が1万でも2万でも多くあったら窃盗はしていなかったとおっしゃっていました。Bさんは、実は刑務所から出所したのちしばらくは生活保護者を支援するNPO法人にお世話になっていたらしく、その期間はNPOの方の金銭管理もあり窃盗に及ぶようなことも無かったとのこと。

窃盗に至る動機や経緯は様々ですが、刑務所での刑期を終わらせれば、再犯はなくなるとは言い切えません。今回のAさん、Bさんもともに窃盗の再犯です。しかし、話を聞いてみると、窃盗に結び付くところを適切にフォローすればまた再犯も回避できるのではと思います。こういった観点は、なかなか弁護士だけでは難しいところであり、出所後の福祉関係のサポートの必要性をひしひしと感じた事件でした。

過失運転致傷アルコール等影響発覚免脱罪の事案

先日、「過失運転致傷アルコール等影響発覚免脱罪」という罪名の国選弁護事件を担当しました。非常に長い罪名ですが、アルコール等の影響により自動車を運転をし、過失で人を怪我させた場合で、事故後に体内のアルコール等の濃度を減少させる犯罪を言います。

逃げ得を防止する

これは、飲酒運転による交通事故に対して、事故現場から逃走するなどしてアルコールに関する捜査が困難になることを防ぐ、いわゆる「逃げ得」を防止するために、2014年5月20日に施行されました。通常の事故では7年以下の懲役刑ですが、この犯罪は12年以下の懲役なので、同じ事故でも逃げてアルコールの影響を免れようとした方がよりも重い懲役刑を科されるのです。

飲酒運転事故から逃げるということ

私が担当した被告人はまだ20代で、飲酒運転による事故が発覚をすることで、妊娠中の婚約者に心配をかけてはいけないと思い、事故後、現場から逃走をしたそうです。事故後、自動車保険を使えることが判り、被告人を伴って、被害者に謝罪に行くなどしました。被害者が怪我で苦しんでいる様子を見て、被告人には自分のやった行為の重さを認識してもらえたと思います。

今回は、幸いにも被害者の方は一命をとりとめ、被告人の更生の点から執行猶予判決となりましたが、怪我の程度がもっと重かったり、事故現場が人通りの少ない場所であったりすれば、被害者が命を落としていた可能性も十分ありますし、被告人が逮捕されなかった可能性もあります。そういった点から、飲酒運転を免れようと逃走する行為に対しては、ある程度重く処罰をすることは必要ではないかと考えさせられる事件でした。

保釈が認められた事案

保釈とは、刑事事件で保釈金を納めることで一時的に被告人の身柄を解放する制度です。今回は私が弁護人をした事件を題材に、実際の刑事事件でどのように保釈を使っていったのかをお話しします。

Aさんの例

Aさんは兵庫県に居住していた方ですが、愛知県内の共犯と一緒に逮捕監禁罪をしたことで逮捕されました。このような共犯関係の事件では、共犯者間で口裏を合わせることを防ぐために弁護人以外との面会を禁止する決定がされることが多いです。Aさんも同様の決定がされたので、Aさんの奥さんは兵庫県から愛知県まで来ましたが、衣服などを差し入れるだけで、実際に会って話をすることはできませんでした。Aさんには子どももいたので、長時間の身柄拘束が続くと子どもにも影響が出かねません。

そのため、早期に身柄開放が必要でしたので、Aさんが起訴をされたその日に保釈の申し立てをし、裁判官に翌日の午後一番で面談を求めました。保釈を申し立てた以上はなるべく早期に申し立ての審査がされなければならないのですが、裁判所は検察庁に意見を聞いてからでなければ決定を出せないので、すぐに決定をもらうということはできません。Aさんの場合は翌日面談前に保釈許可が下おりたので、保釈金を納付して身柄を解放されました。

保釈申し立てをして身柄を解放できると、依頼者から大変感謝されます。また、弁護人としても充実感があります。Aさんの例は犯罪行為を認めていた事案だったので、保釈は比較的容易に認められました。ただ、本来であれば、捜査が完了し、起訴をされた段階では検察官と被告人は対等の関係に立たなければなりません。対等の関係で裁判を行うことでより真実に近づいた判断をすることができます。捜査機関が被告人の身柄を抑えている状況では対等とは言えません。ただ、現実では事実関係を争う否認事件では保釈がなかなか認めらません。早期に身柄を解放されたいので、やってもいない犯罪を認めて保釈を求めることもあります。そのため、被告人の身柄を抑えるのを原則とする現在の刑事裁判のあり方は改められなければなりません。

裁判員裁判の流れ

今回は、弁護人として体験した裁判員裁判事件を元に、裁判員裁判がどのように行われるのかをお話ししたいと思います。

これまでの刑事裁判との違い

裁判員裁判では、裁判を行う日(公判日)に間隔を置かず、連日公判を行うという形に変わり、集中して審理を行うようになりました。事前に何が争点なのか、証拠として何を調べるのかを準備する形になりました。 私が担当した事件では、裁判所に鑑定を求めていましたので、裁判では専門家に鑑定した内容について証言をしてもらうことがありました。

裁判の流れ

最初に、裁判員を選任します。毎年、裁判員候補者名簿が作成され、この中から事件ごとに呼び出しがなされます。選任手続では、事件関係者でないか、辞退希望があるかを聞かれます。検察官や弁護人は4人まで候補者を拒否できますが、裁判員に対して質問ができるわけではないので、誰を拒否するかの判断は非常に難しいです。

裁判員選任が終わると、裁判が始まります。選任された日の午後から裁判が始まる場合もありますし、選任された日の何日か後に始まる場合もあります。

公判で具体的に何を取り調べるのかは事前の手続で決まっていますが、裁判員は裁判官と一緒になって、当事者の言い分を聞き、証拠の取調を行います。証拠の取調といっても読み上げられた書類の内容を聞いたり、写真を目で見たり、証人や被告人の話を聞くというものなので、決して特別な技能や経験が必要なわけではありません。裁判員の中には、検察官や弁護人が思ってもいなかった視点から証人や被告人に質問をして、感心することもあります。

評議、評決

公判が終わると、裁判員は裁判官と一緒に、犯罪を犯しているのか、犯している場合にそれに対してどういう刑罰を科すのが妥当かを議論します(評議、評決)。

裁判員裁判開始後、これまで簡単に認められていた覚せい剤輸入事件での、覚せい剤であることの認識があったかという点で、簡単には故意を認めないという事案も増えてきました。裁判官が今まで常識と考えていたことをチェックされているといえます。裁判員裁判制度は様々な意見がありますが、被告人の権利保証という観点から一定の前進があったのも事実です。今後は、より制度を良くしていく取組が必要だと思います。

外国人の問題

在日コリアン1世の女性の終活支援

核家族化、高齢化社会の進展に伴い、配偶者亡き後一人暮らしを余儀なくされる高齢者が増加しています。弁護士は、判断能力が衰えた後の財産管理、任意後見、遺言作成、執行などの業務を通じて、そうした方々が自分らしく生を全うし、また、亡くなった後の財産処分などにも自身の希望を反映させるためのお手伝いをさせていただきます。

依頼者は日本人の夫を事故で早くに亡くした在日コリアン一世でした。唯一親交のある親族は、朝鮮民主主義人民共和国に暮らす妹たち。我が子同然の甥姪の成長を楽しみに、年1回訪朝するために切り詰めた生活を続けていましたが、70歳を過ぎて将来が心配になり、名古屋北法律事務所に相談に見えました。自分が認知症や重い病気になったときにも、朝鮮の妹たちへの生活援助を続けたい、亡くなった後は、自宅を処分して妹達に相続させたいとのご依頼でした。日本政府の経済制裁のため朝鮮への送金は禁止されており、生活費の援助は直接持参の方法しかなく、夜も眠れないほど自分が倒れた後の家族の生活を心配されていました。希望通りの任意後見契約を結び、遺言書を作成させていただいた後は、「何年ぶりかで夜ぐっすり眠れるのよ」と笑顔を見せてくださいました。

その後、癌を患われ療養生活に入られたため、私が朝鮮の親族と連絡を取りながら財産管理を行い、葬儀も執り行わせていただきました。御遺骨は、遺言書通りに整理した財産とともに朝鮮の親族に届け、朝鮮式の供養をしていただくことになりました。

臨終の席にも立ち会えなかった妹さん達の悲しみは深く、歴史に翻弄された在日コリアン一世の苦しみ、その中で育まれた家族のきずなの強さに心打たれた事件でした。

在留資格のない外国人の在留特別許可事件

日本には様々な事情で在留資格のない外国人がいます。在留資格のない外国人は原則的には強制送還の対象となりますが、人道上の必要性が認めら れる場合などに、特別に在留が認められる場合があります。この「在留特別許可」案件でも実績を積み重ねてきました。

もっとも多いのは日本人と結婚し、日本で夫婦生活を続けることを希望する方のケースです。韓国、パキスタン、ブラジル、ペルーなど様々な国のクライアントについて日本人の配偶者ビザを取得してきました。偽装結婚を疑われて退去強制令書が発付され、訴訟でその取消を求める事件や、退去強 制令書の発付後に日本人配偶者と出会って結婚し、再審を求める事件など、様々な手続きについて代理人活動を行っています。

また、親がオーバーステイなり不法入国(偽造パスポートでの入国等)なりで在留資格がないため、日本で生まれ育ったその子どもも在留資格がな いケースで、親子の在留特別許可を取得する事案も手掛けてきました。日本語を母語として日本の学校で教育を受けてきた子どもたちにとって、本国へ の強制送還は、教育の断絶や言葉を含めた異文化の受容など大変な困難を伴います。在留資格がないと親は就労できないため、貧しい生活を耐え忍び、 いつ自分の将来が断ち切られるかわからない不安の中で学校に通っているお子さんが、ビザを得るという事案もあります。

日本人配偶者のケースと比べて親子で明暗が分かれたり、本国の状況の立証が求められたりと難しいケースが多く、多年にわたる取り組みが必要とな ることも多いですが、引き続き取り組み続けたい分野です。

刑事事件から見えてきた外国人技能実習生問題

2つの事件

これまで担当した刑事事件の中には、外国人技能実習生として来日した方々が起こした事件もありました。制度の「闇」を感じましたので、ご紹介します。

事件の内容

Aさんはタイから縫製工場へ、Bさんは中国から電子機器組立工場へ、それぞれ「技能実習生」として来日しました。2人とも、日本で高度な技術を学び、自国よりも高い水準の給与を得られるとの説明を受けて来たとのことでした。ところが、2人の体験した外国人技能実習制度の実態は、最低賃金以下の極めて低い賃金で、単純労働に従事させるものでした。AさんもBさんも、実家に仕送りする約束をして来日したのに、自分の生活が苦しい状態となったことから、Aさんは食材の窃盗を、Bさんは10万円くらいの詐欺を行ってしまいました。Aさんは不起訴、Bさんも軽めの罰金刑で釈放されました。

外国人技能実習制度の「闇」

外国人技能実習制度は、「開発途上国等」の人々に日本の進んだ技能・技術・知識を修得させ、自国に持ち帰り経済発展・産業振興に活かしてもらう、という建前で行われています。しかし実態は、「たくさん稼げる」とブローカーに騙されて来日する人も多く、さらに「高度な技能を学ぶ」どころか単純労働を低賃金で行わせるもので、「現代の奴隷制度」とも批判されています。Bさんは釈放後、「中国で働いた方がよっぽど給料がよかった」と言い残して帰国しました。

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