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事務所だより

震災 豆電球№113

2011年3月24日

3月11日に宮城沖で発生した巨大地震は、大きなショックを与えています。

建物を次々と破壊し、船や自動車を木の葉のように濁流に浮かべながら、街を飲み込んでいく津波の恐ろしさ。
その濁流の中で、助けを求める叫び声をあげながら、多くの人間の命が奪われていきました。
その被害の全容がわかるのは、まだこれからです。
自然の凄まじいまでの破壊力を眼前にして無力感すら感じるのは私だけでしょうか。
現地では、不眠不休で多くの関係者が遭難者の捜索、人命救助、被災者の支援のために働いています。
一人でも多くの人命が救われることを祈りつつ、私たちができることは何か、を真剣に考えながら、自分の持ち場で職分を果たしていくしかないのだろうと思います。

人命救助、被災者支援の活動とともに復興に向けた取り組みも始まることでしょうが、その苦闘は想像をこえるものではないかと思います。
工場や店舗を失った中小企業が再起できるのか。
職場を失い、生活の糧を失った労働者たちの生活はどうなるのか。
個々の企業や仕事が失われただけではなくも、地域経済が根こそぎ破壊された中で、その道のりは長く険しいものでしょう。

しかし、菅総理も言っていましたが、敗戦の廃墟、焼け野原から立ち直った日本の底力が発揮されるなら、希望の光は見えてくるのではないでしょうか。
私は、今朝の中日新聞朝刊の一つの記事に興味を引かれました。
震災の映像は外国のメディアでも放映されていますが、空前の災害の悲惨の中で、被災者たちが冷静さと礼節を保ち、時には笑顔さえ見せながら、事態を受け止めている姿、信号が停止した交差点でドライバー同士が譲り合う姿、一国も早く帰宅したいであろうにスーパーでレジの勘定のためにじっと長蛇の列を作っている人たちの姿が感銘を与えているというものでした。

19世紀前半に東北地方を旅行したイザベラバードは、アジアの野蛮国という先入観を持っていましたが、貧しいながらも礼節と笑顔に満ちた村々、街道に乞食がおらず、子供たちが大切にされる社会に驚嘆して旅行記を記しました。
その東北地方を舞台に日本人が助け合いながら復興の土音を響かせる日を、きっと世界は目の当たりにするでしょう。

2011年3月14日
長谷川一裕
(ホウネット中小企業メールマガジンより転載)

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