最近の二つの東京地裁判決からー「風通しの良い民主主義」を考える 豆電球No.17
2006年10月5日
二つの判決からー「風通しの良い民主主義」を考える
最近、東京地裁で二つの注目すべき判決が出された。一つは、東京都葛飾区のマンションでビラ(共産党都議団の都議会報告と住民アンケート)を配布 した行為が住居侵入罪で起訴された事件の無罪判決である(8月28日)。このマンション玄関には「チラシ、パンフレット等の投函を禁じます」との掲示がされていたところから問題となった。
最近、オートロックシステムを導入したり、「部外者立ち入り禁止」等を記した掲示を行うマンションが増えている。プライバシー意識の高まり、子供を狙っ た犯罪の多発等への不安が背景にある。同時に、国民には言論、表現の自由が保障されている。国民が多様な情報を入手しなければ、主権者としての公正な判断 はできない。
判決は、住民のプライバシーの重要性に言及しつつ、「昼間に通路等のマンションの共用部分に短時間立ち入り、各戸のドアポストにビラを配布する行為を刑事罰の対象とすべきではない」と判断し、無罪を言い渡した。
プライバシーや治安への不安は大切であること当然だが、それを理由として言論が逼塞すれば、風通しの悪い社会になってしまう。マスメディアは、少数意見、異論を伝えることは不得手であり、これを補うのが、ミニコミ、ビラの戸別配布等である。これらは、国民なら誰でも気軽に出来る言論活動であるという点で、草の根から日本の民主主義を育てていく上で重要な社会的価値を持つものだ。
もう一つは、教職員に対し、入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を指示し違反者は処分するとした通達や職務命令は違法であるとした判決である(9月21日)。判決は、「少数者の思想・良心の自由を侵害する」として、当該通達等を違憲・違法と判断し、起立、斉唱義務がないことを確認し、違反者の処分を禁止、さらに401人の原告全員に1人3万円の慰謝料を支払うよう都に命じた。判決は、入学式で国旗を掲揚し国家を斉唱することの意義を認 めた上で、都教委の通達の違法性について次のように認めた。「世界観、主義、主張や宗教上の理由から国旗に向かって起立したくない教職員、国家を斉唱したくない教職員に対して、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱等させることは、いわば、少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置である」「国旗、国家 は、国民に対し、強制ではなく、自然のうちに国民の間に定着させるというのが国旗、国家法の制定趣旨であり、学習指導要領の理念であると考えられる」
読んで見れば、当然の判決であると思う(新聞報道によれぱ、勝訴した方々が「夢のような判決であった」とコメントしたそうだが、そのようなコメントを原告が出すこと自体、東京都の異常な状況を象徴していると思う)。
司法は、権力の専横、多数者の横暴から少数者の人権を擁護することこそ、司法の使命である。
二つの判決は、治安への不安をあおり立て、管理と統制を強めようとする流れに歯止めをかけるものである。
同時に、お上意識が強く、大勢に順応しがちな日本社会に「個人が尊重された風通しの良い民主主義」を定着させるためには、何が必要なのか、私たちに問題を投げかけるものだ。