中国の農民たち 豆電球No.9
2006年2月14日
中国の農民たち
最近、書店には中国関係の書籍が多数並んでおり、特設コーナーで平積みにしている書店も多い。中国経済の発展、靖国問題等に関連した両国の外交関係の緊張等の中で、中国に対する関心の高まりがある。
ホウネットは、昨年10月に、南京の南京事件大虐殺記念館、北京郊外の抗日戦争記念館を訪ねながら、中国を旅するツアーを組み、私も大学一年の長女とこの旅行に参加したのであるが、それ以降、中国の問題には強い関心を持つようになった。そこで、この旅行の感想を交えながら、中国社会のもっとも深刻な問題のひとつである農民問題、農村と都市の格差について述べてみたい。
この旅行の主たる目的は、アジア太平洋戦争終結60年にちなんで(太平洋戦争という呼び方は、日本の15年戦争が植民地朝鮮を足場に中国やアジア諸国に対する侵略戦争を重要な局面としていたことを見落とすことになりかねないとして「アジア太平洋戦争」と呼ぶことが歴史家によって提唱されている)、日本の中国侵略の傷跡をこの目で確かめようということだったが、旅行に行ってみると、はからずも現代中国の抱えている様々な問題点を垣間見ることになった。
中国を旅行すると誰もが感じるのは、都市と農村の貧富の格差、北京等の大気汚染、あるいは都市の過密化、交通渋滞と交通事故の激増(自動車と自転車が入り 混じって走行する様は圧巻)等ではないだろうか。南京と北京では、開発のために取り壊された民家をあちこちで見た。表通りには近代的な建物が立ち並ぶが、 一歩奥に入ると日本風に言えばしもた屋の建物や老朽化したアパート等が所狭しと立ち並んでいた。
最近、読んだ岩波新書「中国激流」は、現代中国社会にある様々な問題点が詳細にレポートされていて実に興味深い。とりわけ、農民たちの経済的窮乏、都市と農村の格差の深刻な実態がリアルに描かれている。
その実態は、まさに都市による農村の収奪という側面を持っていると言っても過言ではないようだ。
衝撃的なのは、農村における医療、衛生問題だ。医療保険がカバーされているのは一割に過ぎない。後は自腹だ。病気になれば、金を借りたり家財道具を売ったりして治療を受ける。治療を受けられない農民は、死ぬしかない。
日本軍の遺棄した毒ガスによって被害を受けた中国東北部の農民が日本政府を被告として東京地裁に損害賠償請求を求めて民事訴訟を起こしているが、その裁判 を支援する映画「苦い涙の大地から」上映会が名古屋YMCAで行われた。私もその映画を見たが、毒ガスで健康を害した被害者がお金がないため治療を受けられず、裁判を支援している中国人弁護士に治療費の融通を頼む場面がある。私は、その映画を見たとき、日本軍の残した戦争の爪あと、日本政府の無責任さを改 めて認識するとともに、中国における医療、社会保障がいかに貧困であるか、いったい「社会主義的市場経済」って何なの、という思いを強くした記憶がある。
農村では生活できない農民たちは都市に出稼ぎに行くことになる(民工 ミンゴンと呼ばれる)。出稼ぎ労働者は産業労働者の三割を占めており、農民一人当た りの年収に占める出稼ぎ収入の割合は4割を占めるという。ところが、出稼ぎ先では大変な差別が待ち構えている。賃金不払い、一方的な解雇、労災に遭遇しても何の補償すらない。医療費も自腹だから、病気になっても病院にもかかることはできない。
鄧小平が1978年に始めた改革開放経済のコンセプトは、「先富論」だ。先に豊かになれる者から豊かになるべきだという考え方であり、その後、中国は外資の導入を梃子として急速な経済成長を実現した。おそらく、中国の発展のためには、ある程度は、こうした現実主義的な視点は必要であったのだと思う。しか し、現在の中国の農村の窮乏、貧富の格差を見ていると、明らかに行き過ぎている。
中国政府は、バランスの取れた経済発展をスローガンに経済政策の一定の修正に踏み出したようで、農民に対する税を全廃したり、経済発展が遅れた西部開発に力を注ぐ等の施策を講じているが、医療、社会保障面の手当ては緊急を要すると思う。
巨大な人口を抱える中国の経済発展のためには、一定の高い経済成長が求められるのは理解できるが、だからといって現在のような状況が放置されて良いのかが 問われるべきである。医療、保険衛生だけをとってみても、人口の6割を占める農村部への政府の衛生関連支出は2割のみだ。逆に人口では4割に過ぎない都市 人口が8割の衛生資源を享受しているというが、こうした実態すら是正できないのなら、「社会主義的市場経済」の看板は外さなければならない。