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事務所だより

青春18キップで「紀伊半島一周ひとり旅」(1) 参与  立 木  勝 義

2010年6月11日

青春18キップで「紀伊半島一周ひとり旅」(1)

 春の青春18キップの使用期間は4月10日まで。私は残り2日間分を紀伊半島一周する計画を立てました。
 2010年4月2日(金)から一泊2日のローカル線の旅に出発しました。まずは参宮線を制覇しておこうという計画です。名古屋駅午前9時35分発の快速列車「みえ1号」で参宮線の鳥羽駅まで直通列車があります。久しぶりの関西線の乗車で「関西線なんて空いているだろう」と甘く見て、発車時刻ぎりぎりに名古屋駅の13番ホームに着くと意外や意外、車内はすでに満席に近くなっていました。
 慌てて乗車した私は、偶然空いていた席を確保できホっとしました。周りの乗客の雰囲気は、みな旅慣れたひとのようであちこちにグループがありました。私の隣の席の方も仲間のみなさんと一緒でした。この方々は静岡県の湖西市から朝早くにでかけてきたとのことで松阪市の文化遺産などを見学に行かれるとのことでした。
 その方から関西線の「桑名」に豊田佐吉が欧米との交流に利用した六華苑という館が残っているので時間があったら出かけてみたらとのお勧めをいただくなど列車での旅のふれあいがありました。近くなので一度機会があったら出かけてみようと思いました。
 この列車は関西本線河原田駅から津駅まで区間を第三セクターの経営する伊勢鉄道線に入るため、青春きっぷでは別料金490円が必要となることを知りました。
 参宮線(多気−鳥羽間29.1キロ)は、関西本線の多気駅で分離して鳥羽駅に向かいます。昔は伊勢神宮への参詣路線で歴史がある路線とのことで、明治44年(1911年)に全通しています。当時は国民的風習の「お伊勢参り」で参宮線は大部分が複線で、東京から直通列車が寝台付きで運転されていたという幹線並みに扱われていたのです。その後、戦争のため不要不急線とされ、資材提供のためにレールが撤去、全線単線に戻ってしまうという歴史があるのです。
 戦後は参拝客の減少と近鉄電車との競合のなかで、優等列車が姿を消していきローカル線の色合いが濃い路線となっています。途中の「二見浦駅」の駅舎は夫婦岩がモデルとなっているモダンな建物になっていたのでカメラに収めました。
 鳥羽駅に11時17分に到着。折り返しの時間があつたので、私は気楽に駅前をぶらぶらすることにしました。駅前のみやげも店が入っているビルも人影もほとんどなく、閑散としていました。なんだか観光都市の面影も薄らぎつつある鳥羽を後にして紀勢本線の乗り換え駅の多気駅にむかいました。

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鳥羽駅に停車中のキハ11系(左)キハ75形(右)

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二見浦駅「駅舎」

多気駅前は、一軒だけの旅館兼食堂のみ
 昼食は多気駅でとることにして、駅前に立ちました。「歓迎・多気町」のアーケードは錆つき、活気をなくした駅前には客待ちのタクシーが一台止まっており、運転手が暇をもてあましている様子でした。看板も消えかかっている旅館兼食堂「まねき」という店に入り、500円の塩味の中華そばを注文しました。老夫婦が細々と営んでいる感じでした。「昔は多気機関区や保線区など多くの国鉄労働者が行き来をして賑わっていた」と奥さんらしき人が懐かしそうに語ってくれました。機関区や転車台などの跡地に運輸区の建物が残るのみ、駅の広い待合室が昔を偲ばせていました。

c「多気駅前」のアーケード           

d「まねき」食堂

梅とさくらが満開の紀勢本線
 紀勢本線に戻った私は、春を迎えた沿線の風景を楽しんでいました。「梅ケ谷駅」のすぐわきに梅が満開となっていました。「紀伊長嶋駅」で20分の停車時間を利用して駅前に出てみると記念碑があり、かっては天皇陛下も降車したことを知る。いまでは観光資源もあまりなく、さびれた感じの駅でした。
 紀伊長嶋駅を出てしばらくすると列車は海岸沿いを走ります。太平洋の海を左に見て尾鷲駅までは数駅で着きました。その後は、白砂の美しさでは日本一とも言われている新鹿海水浴場を眺めながら熊野市を経由して新宮駅に列車は滑り込みましたe「あたしか駅」のさくら        

f「日本一美しい」新鹿海水浴場
   本州最南端の駅・串本へ
 新宮駅で紀伊田辺行きの普通電車に乗り換えました。実はこの新宮駅JR東海とJR西日本の境界駅で世界遺産の「熊野古道・中辺路」への入口で、ここから西への線路はすべて電化区間となるのです。
 新宮駅17時08分発の列車は、那智駅をすぎると古くからの温泉地が続きます。昔は新婚旅行のメッカで、私の兄の新婚旅行も紀伊白浜あたりだったと聞いたことを思い出す。紀伊勝浦駅は、駅前に足湯も設置するなど町あげて温泉駅をアピールしているとのことです。
 列車は、隧道からでると海や田園の風景が飛び込んできたり、線路のすぐそばまで海岸が迫ってくるなど紀伊半島の海岸線を縫って走っているようでした。駅前が海水浴になっている「湯川温泉海水浴場」の湯川駅を走りぬけ、途中からは山間部を右に左にカーブしながら快調に走ります。
 少し海岸風景にも飽いて車内を眺めているとこの普通列車の車内には一枚も広告類のポスターもないことに気がつきました。殺風景な電車で、不景気で広告がないのか、それとも広告をだせない決まりでもある電車なのかを知りたくなったのです。この問題は後日の研究テーマにしましょう。
 さて、今宵のお宿は、昔は「ここは串本、向かえ大島、なかを取り持つ・・・」と唄われた串本となります。「本州最南端の串本駅」に着いたのは、夜の帳が下りた18時15分でした。串本と大島を結ぶ連絡船は、いまから12年ほど前に大橋ができ、船の行き来がなくなったと旅館の人から聞きました。便利さが歌までなくしてしまったようです。 

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串本駅に到着した電車

h串本駅の「本州最南端の駅」
私の目標    5年で、全国90路線、全国制覇を
今日の到達点  関西本線・参宮線・紀勢本線の3路線【第3セクター・伊勢鉄道線/1路】      前回まで11路線+3路線 JR線/計14路線【第3セクター線/1路線】
残路線?76路線

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